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天心は幕末に横浜で生まれ、最初は角蔵(覚蔵)と名付けられ、その後、自ら覚三と改めました。天心という名は、号のひとつをとったものです。

幼少期より外国人宣教師の塾にて英語を習い、漢学は菩提寺の僧侶に付き勉強しています。東京大学で政治学と理財学(現在の経済学)を修めて卒業し、文部省に就職しました。東京美術学校幹事、帝国博物館理事兼美術部長を経て、27歳で東京美術学校校長に就任します。また、日本美術院を設立し、中国、インドを歴訪し、ボストン美術館では美術品の整理や収集に尽力を注ぎました。卓越した英語力で「東洋の理想」「日本の覚醒」「茶の本」なども執筆し、国内外で高い評価を受けています。そして、横山大観を始め多くの芸術家を育て、多大な影響を与えました。

一方で天心は豪酒家であり、明治20年代、東京 根岸に住んでいた頃は、近隣に住む気のあった友人、文人たちと集っては酒宴や催しを連日のように行っていました。生活習慣の乱れのためか、晩年、天心は糖尿病と痔に苦しみました。大正2年、文部省で行われた古社寺保存会議の途中、大量の下血がありましたが、苦痛を抑え、法隆寺壁画保存の建議書草案を書き終えます。その後、静養のため天心の希望で新潟県赤倉の山荘に向かい、そこで糖尿病によるものと思われる心臓発作と視力の衰え、そして腎臓炎から尿毒症を併発し、息を引き取りました。

天心は東京染井墓地に埋葬され、一部は六角堂のある茨城県の五浦(いづら)に眠っています。

 

 

旧天心邸(茨城県北茨城市)


監修 内潟 安子 [ 創刊によせて ]
東京女子医科大学
東医療センター 病院長

編集協力
岩﨑 直子、尾形 真規子、北野 滋彦、中神 朋子、馬場園 哲也、廣瀬 晶、福嶋 はるみ、三浦 順之助、柳澤 慶香
(東京女子医科大学糖尿病センター)
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