福岡県柳川市の北原白秋生家
NO.18
NO.18
白秋は1885年(明治18年)に福岡県柳川市にある江戸時代以降栄えた商家を営む旧家に生まれました。幼少期は病弱だったため、まるでガラス瓶のように簡単にひび割れそうだと、家族は白秋に「びいどろ瓶」というあだ名を付けていました。3歳の時には腸チフスにも罹っています。
早稲田大学入学後は、詩作に励み、1909年(明治42年)処女詩集「邪宗門」を発表し、その2年後には詩集「思ひ出」を発表、名実ともに詩壇の第一人者となりました。その後も、「桐の花」などに代表される詩歌集、「とんぼの眼玉」「赤い鳥」「からたちの花」などの童謡の作詞もしました。
青春時代に実家は破産し、白秋も借金取りに追われる身になりましたが、詩歌の才能が生活を支えました。売れっ子の作家になってからは、多くの旅をし、また旅先での宴席も多かったようです。
晩年、白秋は糖尿病と腎臓病に罹り、50代で眼底出血を起こします。2年間で3回の眼底出血を起こし、ついには光を失いました。それでも、執筆活動には積極的で、家族に資料を読んでもらったり、自分で書くことができなくなると口述筆記で執筆しました。
誰もが一度は耳にしたことがある童謡。白秋の童謡は人々の心の中で愛され続けています。また、白秋は多くの学校の校歌も作詞し、今もなお歌い継がれています。
参考図書
「北原白秋」 三木 卓 筑摩書房
「白秋望景」 川本 三郎 新書館
福岡県柳川市の北原白秋生家
JP23DI00118