藤田 理恵子さん
2004年入社
開発本部 開発企画部 安全管理グループ
藤田 理恵子さん
2004年入社
開発本部 開発企画部 安全管理グループ
藤田:1997年、中学3年生の冬頃に、飲み物を大量に飲んだり、食べても食べてもお腹が空くようになりました。さらに、異常な喉の渇きが続いていたため水分を大量に摂取し、その結果、多尿になりました。しかし、たくさん食べているにも関わらず、体重が減っていくという状態でした。自分でもおかしいと思いましたが、当時は中学3年生だったので成長期のせいだと思っていました。
自分の尿から少し甘い匂いがしていたので、もしかしたら糖尿病かなと考えましたが、太っているわけではありませんでしたし、子供のときに糖尿病にかかるとは思いもしませんでした。
12月頃からそういった状態が続き、忘れもしない2月23日の朝に、意識が遠のき、気持ち悪く、食欲もない状態になったので、近所の開業医に診てもらうことにしました。しかし、開業医の先生も原因が分からないということで大学病院を紹介していただき、そこで「あなたは1型糖尿病なので、これから一生1日4回の自己注射が必要です」と告げられました。
それを聞いて、涙がバーっと出てきた記憶があります。これからどうなってしまうのかという不安や、注射器を思い浮かべた恐怖から来る涙だったと思います。
ところが、3週間の入院期間中に見せてもらったインスリンペン型注入器である「ノボペンⓇⅢ」*を見て、その不安が一気に和らぎました。デザインがとても可愛く、全く注射器に見えませんでした。衝撃的でしたね。姉も「ノボペンⓇ」という名前も可愛らしいと言ってくれて、なんとなくノボ ノルディスクに助けてもらったような感覚になりました。
初めて自分で注射をしたときは、とても怖かったのですが、全く痛みを感じませんでした。その瞬間、‟きっと、やっていける”と思いました。
高校生になるのと同時に、将来、大人になって社会に出て行くときに、この病気がハンディになると思い、何か資格を取った方がいいと考えました。理数系が得意だったこともあり、高校1、2年生の頃に医療系に進もうと決め、両親も応援してくれました。
今振り返ってみると、糖尿病になったからこそ得たものは大きかったと思います。
藤田:ありがたいことに、周りは理解のある方ばかりであったように思います。中学生の頃は、お昼に注射するインスリン製剤を保健室に置かせてもらいました。また、好奇心旺盛な友達が多かったので、注射器が見たいと一緒に保健室に行くなどのサポートもしてくれました。中には自分から糖尿病の勉強をしてくれた友達もいて、私が低血糖になったときのためにとアメを持ち歩いてくれていた子もいました。とても恵まれていたと思います。
私は自分の病気のことを知られることに抵抗がなかったので、友達にもオープンに話していました。ただ、友達と食事に出かけた際に、友達の目の前で注射を打つととても驚かれました。そのときに、公の場で注射を打つと周りからどう見られてしまうのかは、自分も気を付けなければならないと思いました。自分がオープンに病気のことを話すのと、人前で注射を打つのは別のことだと思いましたね。
藤田:当時はもっと糖尿病を学びたいという気持ちと、インスリン製剤を作っているノボ ノルディスクに命を助けてもらったから、その会社に恩返ししたいという気持ちが大きくありました。
大学在学中に、新しいインスリン製剤が発売となりました。超速効型インスリン製剤といって、今までは食事の30分前に打たなければならなかったものが、食事の直前に打てば良いというとても画期的なものでした。
新聞の記事でそのことを知り、早く使いたいと思いましたが、発売されてから実際に使えるまでに数カ月かかりました。そのときに、新薬が出てから患者さんの手元に届くまでにはいろいろな人の関わりがあることに気づき、良いものを早く世に出すということに自分も貢献したいと考えました。もはや私の就職先はノボ ノルディスクしかないとさえ思いました。
藤田:ノボ ノルディスクは、とにかく患者さんの立場で物事を考える会社だと思います。製品のクオリティに妥協がないので、ルールも厳しいのですが、だからこそ良い製品を生み出せるのだと思います。
基本的に社員は糖尿病や副作用についての知識を持っているので、入社時から安心感を持っていました。少しでも私の体調が悪いと「血糖値が低いんじゃない?ジュース買ってこようか?」といった対応をしてくれるので、とても働きやすい環境だと思います。
しかし、それに甘えてはいけないとも考えています。病気を持ってはいますが、基本的には社会人なので自己管理ができるのが前提です。それを教えてくれる上司もいました。「あなたは糖尿病だけど、だから何?」と言われたときは衝撃を受けましたが、よくよく考えてみると確かにそう思います。例えば、高血圧の人、脂質異常症の人などさまざまな疾患を持つ人がいる中で、「糖尿病だからといって、働きやすい環境に甘えるな」と言ってもらえたのは、1型糖尿病を特別視していた私にとってはとても良かったと思っています。上司も、私にそれを気づかせるために言ってくださったのだと思います。
藤田:そうですね。他の社員にも「藤田さんは糖尿病があるから、一層患者さんのことが分かるよね」と言われますが、患者さんの気持ちを本当に分かっているのかは疑問です。しかし、「就職活動の際に病気のことを企業に相談したか?」という質問を学生さんから受けたときにアドバイスができたり、小児糖尿病で悩んでいる看護師さんや薬剤師さんに自分の経験を踏まえてアドバイスができたりするという意味では、自分の経験が生かされていると思います。
ある女性の糖尿病専門医の先生から、「80代後半の患者さんが自分でインスリン製剤を打つことができるようになった」と聞いたときは、とても嬉しかったですね。自分でもインスリン製剤を打っていますし、ペン型注入器やインスリン製剤が糖尿病のある方にとって非常に貢献度の高いものだと頭では分かっていますが、実際に患者さんの声や医療現場の声を聞くことでさらに嬉しさが強まります。
ただ、製品をいち早く現場に届けるというのは、そう簡単にはいきません。あるとき上司から「あなたが営業活動をしっかりと頑張らないと、良いインスリン製剤が採用されない。つまり患者さんを不幸にしているかもしれない」と言われたことがあります。私よりもよっぽど患者さんの視点で考えている人がこの会社にはたくさんいると感じました。
藤田:デジタルの時代になり、さまざまな情報がネットですぐに調べられるようになりました。例えば、1型糖尿病のある方は年齢の低い方も多いので、同じ病気同士でつながりたいと考える方は少なくないと思います。実際、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアでも1型糖尿病を公表している人はたくさんいるので、簡単につながることもできるでしょう。それ自体は、良いことだと感じるのですが、ネットでは正しい情報もそうでない情報も溢れているため、ネットで知った治療に関する情報を安易に信じてしまうのは危険だなと感じます。これは糖尿病に限ったことではありませんが、医療に関わることなので、専門の先生に診ていただきたいですね。
藤田:それは病気になったことがきっかけかもしれません。中学3年生のときに病気になり、一生注射を打つということで、周りからは可哀想な人だと見られると思ったので、絶対に明るく振舞おうと決めました。暗い子、可哀想な子と思われたくなかったので、努めて明るく振舞っていたのがそのまま身についた部分はあると思います。
また、1型糖尿病になっていなければ、ノボ ノルディスクには入社しておらず、入社後の数々の素晴らしい出会いも手に入れることができなかったのは事実です。
学生時代の主治医に教えて頂いた、「禍福は糾える縄の如し」とはまさにこういうことを言うのだと自分なりに理解しています。
2016年11月14日 世界糖尿病デーの日に営業所にて撮影。
糖尿病の早期発見や治療継続の啓発を目的とし、全国各地で一般の人を対象に「糖尿病啓発のチラシ」と「マスク等」の配布を行なった。
(前列の中央の水色のウィンドブレーカーが藤田さん。)
藤田:私が病気になったときに、姉から「諦めるしかない」と笑顔で言われました。姉がとても前向きにその言葉を使ったので、そのときはとても衝撃を受けました。「治らないなら考えても仕方がないから、諦めて注射も頑張ろう」と、そういうニュアンスの諦めでした。
糖尿病は基本的には一生付き合う病気のため、周りの人の支えは絶対に必要です。もちろん治療のことでストレスを溜めるときもあると思うので、そういうときはお医者さん、家族などの頼れる人や薬の力を借りたり、甘えたりすることも重要だと考えています。1人で抱え込まず、自分を大切に、そして周囲との関係も大切にし、糖尿病とともに充実した人生を歩んでいっていただければということをお伝えしたいです。
*「ノボペンⓇⅢ」は現在販売しておりません
JP24CD00050