ジャスティン モリス
Justin Morris
私の名前はジャスティン モリスです。私の経験を皆さんの紹介させていただきます。1型糖尿病とともに生きるということ、糖尿病が私に投げかけたさまざまな挑戦、そして糖尿病が私に教えてくれた大切な事をお伝えします。
私は1996年、10歳の時に1型糖尿病と診断されました。私の家系には糖尿病とともに生きる人がいなかったので、私も家族も大きなショックを受けました。西シドニーのウェストミード小児病院に1週間以上入院し、私は糖尿病とともに生きていかないといけない新しい生活について学びました。話を聞いて、私は自分の人生はこれからずっと暗い方向に進んで行って、いろいろな事が「できない」人生になってしまうのだろうと感じました。
当時10歳の少年だった私には、一つの夢がありました。それは、ジェット戦闘機のパイロットになることでした。
内分泌科の先生とはじめて話した時に、「1型糖尿病があると、いくつかできないことがあるんだよ」と言われました。そのできないことの例として、先生が真っ先に挙げたのが、「パイロットになること」でした。パイロットにはなれないと言われ、私の糖尿病に対し希望を持つことができなくなり、その後何年も悲しみが続きました。
しかしその後、いくつかの大きなきっかけにより、1型糖尿病と自分の人生に対する私の考え方は変わりました。詳しくはまたこのブログでお伝えしますが、結果から言うと、後にプロの自転車選手になるという夢を持ち、その夢を叶えることができたのです。
私は5年間プロの自転車選手として活動しました。その中でも、世界で注目を集めているプロサイクリストチーム、「チーム ノボ ノルディスク」で過ごした2年間は私にとって忘れられない思い出となりました。
プロとしてレースに参加するようになってから、世界中の国を訪ね、さまざまな事を学び、たくさんの思い出ができました。私がこれらから得られた最も大切な学びは、「楽しさや幸せを強く感じられる瞬間は、実際の経験そのものではなくて、後から思い出した瞬間なんだ。苦しみはいつかなくなるけど、思い出はずっと残っている!」という事です。
「苦しみはいつかなくなるけど、思い出はずっと残っている!」
世界一過酷といわれるマウンテンバイクレースがあります。それはオーストラリアのヨーク岬半島で開催される、「クロコダイル・トロフィー」です。北オーストラリアの辺境部で、厳しい猛暑の中行われるレースで、選手たちは10日間かけて1,300kmを走破します。長い山岳地帯を越え、その後は乾き切ったオーストラリア奥地の砂漠地帯を通過しなければなりません。2011年、私はこの世界的に有名なイベントに招待されました。招待状を受け取った時はとても嬉しかったですが、だんだんと、怖くなり、緊張感が増し、最後にはとても不安になりました。
レースはとても厳しく、膝まで浸かるぬかるみ、土砂降りの豪雨の中の走行、雨がしみ落ちて来るテントでの宿泊・・・最初の2日間だけでとても過酷で、私はすっかり音を上げてしまいました。完走はおそらく無理だろう、まして良い成績を取るなんて絶対に無理だろうと思いました。レース条件があまりにもひどかったので、これに比べればプロのロードレースなんて楽なものだとも感じました。
こんな、オーストラリア奥地のレースにもメリットが一つあり、それは「諦める機会はほとんどない」という点です。近くに舗装道路はありません。一番近い所でも数百kmも離れています。もちろん公共交通機関などありませんから、諦めて電車などで帰ることもできません。私は歯を食いしばってレースを続けました。
レース8日目、走行距離が1,000kmを超えるころになると、ようやく付近に街並みが少しずつ現れてきました。20分走ると、その後10分は市街地を通過するというところまで来ました。市街地を通る度に、もうこの辺で休もうか、レースをやめてしまおうか、という誘惑に駆られました。何しろ、スタートから苦しみの連続だったのです。最初の2~3日だけでも、ぬかるみや豪雨に遭遇し、その後は乾燥し切った砂漠で冒険のような走行が始まります。気温40℃の炎天下で走る日が何日もあり、距離にすると200km以上あります。心身への負担は大変なものでした。
私は糖尿病をコントロールしながら走っていましたが、レースが進むにつれて難しくなり、身体のコンディションも変わり、通常より自分のインスリン感受性の変化が大きくなっていることを感じました。糖尿病をコントロールするため、レース中も毎日定期的に食物を摂取しなければなりませんが、競争相手がはるか先へ走り去るのを見ながら食事を取るのは、とても悔しかったです。それでも私は諦めませんでした。レースが進むにつれて苦しみも大きくなってきましたが、同時に、最後までやり遂げたいという思いも強くなってきました。
9日目の夜、私たち選手は「シュタルケ」という土地で野宿しました。ここは乾燥した砂地のキャンプ場なのですが、選手たちの後を追って来ていた給水車が給水不能になり、仮設シャワーもトイレも利用できなくなってしまいました。調理もできないので、食事もほとんど取れませんでした。韓国のナショナルチームが、ついにレース中止の判断を下しました。彼らは2012年のオリンピックを目指して練習を積んできた強豪チームでした。ライバルの脱落は私には好都合でしたが、そんな私にとっても、10日目にあたった翌日はそれまでのどの日よりもつらいレースになりました。
でもこれが最終日ですから、何も失うものはありません。私は自分を奮い立たせ苦しみを乗り越え、クロコダイル・トロフィーのゴールを駆け抜け、最終的には総合5位という順位を獲得することができました。
「レースが進むにつれて苦しみも大きくなってきましたが、同時に、最後までやり遂げたいという思いも強くなってきました。」
正直、このレースを楽しいと感じた瞬間は1分たりともありませんでした。私にとってこのレースは、つらさや苦しみに耐えたことを証明するものでした。それでも、レースを完走し結果を出せたことは、後から振り返るととても嬉しく、そして楽しい思い出になっています。
レースの体験談を皆さんにお話しできるのも、嬉しく楽しいことだと思います。皆さんにも、辛いこと、思い通りにならないこと、苦しくてたまらないことがあるかもしれません。でも、いつかその苦しみが、喜びや幸せの詰まった贈り物となって皆さんのもとに届くことでしょう。どのような贈り物であるかに気付くには、少し時間がかかるかもしれませんが・・・。
10歳で1型糖尿病と診断されたジャスティンさんは、人生の夢と目標を見失いかけていましたが、糖尿病対策を目的に自転車競技を始め、プロのサイクリストの道へ進むきっかけにもなりました。ロードレースのプロサイクリストとして5年間を過ごし、競技と糖尿病のコントロールを両立させながら世界の5大陸を転戦しました。その間の競技生活から多くのことを学び、競技の中でも外でも困難に対処していく経験と知恵が身に付いたと語っています。
その後、プロ選手を引退してオーストラリアのマッコーリー大学を2015年に卒業し、心理学と教育学の学位を取得しました。大学在学中には、学業だけでなくスポーツ競技でも優れた成績を収めた学生に贈られる「ブルース・アワード」を授与されました。現在もチームSubaru-marathonMTB.comに所属してマウンテンバイクのマルチデー自転車レースに出場しており、変わらぬ健脚ぶりを発揮しています。クロコダイル・トロフィー、シンプソン・デザート・バイク・チャレンジ、パイオニア・イン・ニュージーランド、モンゴル・バイク・チャレンジの各レースで表彰台入賞を果たしています。
2011年からは、自転車競技経験をもとにした情報発信を開始しました。希望と力を与え、逆境を克服するメッセージを世界中の人々に発信し続けています。
連絡先:
Twitter: @JustinMorrisTT1
Instagram:
@justinmorrismdog
LinkedIn: https://www.linkedin.com/in/justin-morris-3a71b4a7/www.mindmatterscoach.com
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