2021年シーズンでプロサイクリングを引退するブライアン カムストラ選手。チーム ノボ ノルディスクでの6年目のシーズンを終えた28歳のカムストラ選手は、筋肉の病気のためキャリアを終えることを余儀なくされました。今回のインタビューでは、彼のユニークなプロサイクリングへの道のりと糖尿病コミュニティの一員であることの影響について語ってもらいました。
チームには合計7年間在籍していたのですよね?
そうです、今年一杯で7年です。2015年から参加しました。
他の選手たちに比べて糖尿病と診断された時期が遅かったため、サイクリングやチーム ノボ ノルディスクへの道のりは、少し変わっていたのではないでしょうか?
そうですね。診断されたのは19歳のときですから。
その後どのようにしてチームのことを知ったのですか?
マルテイン フェルスホールというオランダ人の男性がチームにスプリンターとして所属していました。彼はいつも私の故郷で募金活動ツアーを開催していました。彼の出身地ですし、彼の両親がツアーを主催していたのです。当時私はまだランナーでしたが、怪我をしたため、走る代わりに自転車でトレーニングをしていました。そしてその募金活動ツアーに行き、彼と会いました。その時、ランニングで怪我をしたことを彼に告げました。全国選手権に参加しヨーロッパ選手権で優勝するようなレベルでスポーツをする1型糖尿病のある方は珍しいので、彼は私がもともとアスリートで、期せずして糖尿病になったことを理解してくれました。
彼は私との縁を感じたのでしょう、それから一緒に自転車に乗り始めました。それまで私は人生で自転車を2時間以上こいだことがなかったのですが、彼と一緒に4時間こいでも元気でした。「君は自転車の才能があるね!」と彼も言ってくれました。
それからランニングを再開したのですが、再び怪我をしてしまいました。そこでマルテインに再び連絡をとったところ、「チーム ノボ ノルディスクのトレーニングキャンプに来ないか」と誘われました。彼がチームに私を紹介してくれて、2015年にはスペインでチームに声を掛けられました。またとないチャンスでしたので、育成チームと一緒にトレーニングをすることにしました。
参加したのは、契約のためや自転車競技選手になるためではありません。私は、怪我をした自転車好きのランナーだったのです。私はサイクリング一家の出身で、父はかつて一流の自転車競技選手でしたし、叔父は全国チャンピオンでしたが、自分は自転車が好きでも、本当に情熱を注げるのはランニングという意味では家族と異なっていました。プロの自転車選手になろうとは一度も考えたことがありませんでした。しかし、トレーニングキャンプでの体験が素晴らしいものだったので、育成チームへの契約をオファーされたときは「やるしかない」と思いました。
じっくり振り返る時間があったかどうか分かりませんが、サイクリングのキャリアに感謝していますか?夢見たことではないにしろ、ご自身の体験に感謝していますか?
もちろんです。私が初めて加入したときはチームに16人の選手がいました。当初は16人の糖尿病とともに生きる選手がいることに不思議な気持ちになりました。でも、とても面白かったですよ。糖尿病の管理について経験豊富な人たちからたくさん学びましたし、時間が経つと、自分も若い人たちに手を貸し教える立場になっていました。チームで過ごした年月で多くの人生の教訓と知恵を学び、心から感謝しています。
それにたくさん旅行もしました!チームに在籍していた最初の2年間にオーストラリアやアメリカ、カナダ、メキシコ、中国、台湾、フィリピンなど、多くの国々を旅しました。これほど多くの国々を旅したことがない80歳の人もいるのに、私は2年間で旅ができました。旅ができたことも、そして旅の過程で出会った人たちにも、本当に感謝しています。