今年はひと月ひと月を健康に気を付けて過ごしてきました
今年は世界が大変な時期となり、個人的にもさまざまな課題がありましたが、自宅での生活を有意義に過ごしています。新型コロナウイルス感染症が拡大する直前の3月にUCIトラックサイクリング世界選手権から帰国しました。母は昨年、オリンピック出場に向けて私をサポートするため、フロリダからペンシルベニアに移り住みました。
競技のために旅をして世界を見てまわるのが好きなので、これほど自宅にいるのはここ6年間で初めてです。通常、私のシーズンは一年中で、自宅に戻るとすぐに次の旅のことを考えます。婚約者や4匹のペット達と一緒に過ごす自宅生活もいいものです。
UCIトラックサイクリングワールドカップシーズンが2019年10月にスタートし、私は6カ月間自宅を離れて遠征し、2020年1月まで4つのワールドカップに出場しました。素晴らしいシーズンでした。特に、ベラルーシではスプリントで4位になり、UCIワールドカップスプリントスタンディングスでは総合9位になりました。世界選手権から戻ったときは、体を回復させて緊張をほぐすための時間が少しありました。
数カ月間は自宅と路上で単独トレーニングを行っていました。これは今までにない新しい体験で、調整し適応させることに励みました。この期間に、1型糖尿病と診断されて新しい状況に適応しなければならなかった当時のことを思い出しました。2020年6月にはアメリカ自転車連盟がオリンピックロングチームを発表しました。これは、2021年春にファイナルオリンピックチームに選出されることを望むアスリートたちにとって一歩前進したこととなります。
私は少し前に私自身の新しいウェブサイト (英語) を立ち上げてニュースレターを発信し、私のこれまでの軌跡と糖尿病コミュニティとの結びつきを表現するロゴを発表しました。ロゴの青い円は、私たちの特別な結びつきを象徴する糖尿病の世界的なシンボルであり、私のイニシャルは、山あり谷ありの人生を乗り越える姿勢をちょっぴり表しています。
ウェブサイトを立ち上げた日にある人から連絡がありました。今病院にいて、4歳の子供が1型糖尿病と診断された中で、私のウェブサイトとロゴを知ったそうです。私は胸がいっぱいになりましたが、ふと微笑み、思いました。チーム ノボ ノルディスクのCEO 兼 共同創設者のフィル サザーランドさんの言うように「糖尿病はチャンピオンだけを選ぶ」と。
チーム ノボ ノルディスクに加入し、サザーランドさんや糖尿病とともに生きながらレースをするほかの選手たちと知り合って希望をもらいました。おかげで、私は糖尿病を持っていることについてとてもオープンですし、恥じることはまったくありません。糖尿病を持ちながら夢を実現しています。この機会を与え、私を信じてくれるチームとサザーランドさんには、いくら感謝しても感謝しきれません。
以上が今年を振り返って思うことです。私を含む多くの人々にとって、2020年は考えさせられる年になったのではないでしょうか。
幼年時代の変遷とインスピレーション
14歳のときに両親が離婚し、父は母国であるドイツへ帰りました。父と私は大の仲良しで、父はいつも私の人生にとって大きな存在でした。私が朝学校に行く前には、一緒にランニングに出かけましたし、いつもそばにいてくれました。ですから、父が引っ越してしまい、自分の一部分が欠けたように感じました。10代の私は無茶をしていました。数日間も家に帰らなかったことがあり、母を困らせている自分に気づきました。母は傷ついていたし、父はいなくなってしまったので、思慮分別のある行動をすべきことは分かっていましたが、しばらくはやる気が出ず、6.8キロも太りました。そんな私を母が立ち直らせ、高校のクロスカントリー・トラック・フィールドチームに戻るよう励ましてくれました。
最初のコーチだったマイク フレイスが私のサイクリングと私生活にポジティブな影響を与えてくれ、サイクリングと競技に復帰した私にとって大きな存在でもありました。当時「マイク フレイスのスポーツリゾート」と呼ばれ、現在は「バーン ブレイ マンション」と呼ばれているニューヨーク州グレンスペイにある彼の家に11歳のときに初めて行ってトレーニングし、初のジュニア全国選手権に向けて準備しました。トライアスロンに初めて挑戦したのもこの場所ですし、この場所では今まで何度もトレーニングしています。マイクは文字通り人里離れた場所で暮らしていて、彼の家は本当に幽霊が出そうなんです。「バーン ブレイ マンション」で調べてみてください!アスリートたちはみな彼のバンに乗りこみ、2時間かけてペンシルベニア州トレクレルタウン (私の現住所) にある「バリー・プリファード・サイクリング・センター」へ行ってレースをしていました!彼と奥さんのパットを最近訪ねたときは感激しました。実をいうと、マイクはアメリカ自転車連盟が合衆国自転車競技連盟だったときの元会長で、サイクリングに関しては豊富な経歴の持ち主です。私たちは思い出話に花を咲かせ、彼は84年のオリンピックブランケットに手紙を添えてプレゼントしてくれました。
全米キロレコード
2020年は女子1㎞タイムトライアルで米国内トラック新記録を残せた嬉しい年でした。
実際は去年も記録を達成しましたが、24時間以内に米国アンチドーピング機関 (USADA) の検査を受ける必要があることを知らなかったため、公式記録にはなりませんでした。記録を公式にするために必要な手続きをまったく知らなかったのです。すべてをチェックしバランスを整え、次回はきちんと手順を踏もうと決意しました。
1kmを走るのは、実際にはスプリントと耐久レースをミックスしたものです。そのための特別なトレーニングはやっていませんでしたが、挑戦したいと思っていました。ダブルトラックの日々とジムで過ごす時間を含めて週25~30時間はトレーニングに励んでいます。
記録はバリー・プリファード・サイクリング・センターで達成しました。このトラックで1kmは3周です。最初の半周は全速力で行け、行け、行けという感じでした。残り2周のところでリズムが落ち着き、再びはりきって残り1周に突入しました。最後の1周はとにかくがむしゃらに突っ走りました。やりとおせるかどうかもわからず、風も強くて、このままではタイムが遅くなる!と思いました。
コーチのOKのサインを待っていました。1分11秒以下の記録が必要なところを1分08秒694 (52.4kph平均) 。国内新記録で感無量でした。
オリンピックへの抱負
もうすぐ年末になります。次の夢は何か?私はできれば2021年にオリンピック選手になりたいと思っています。
10歳でサイクリング競技を始めましたが、自分の人生は回り道の連続だったように思えます。両親の離婚から糖尿病の診断、2013年にトラックスプリントサイクリングに専念することを決心するまで、色々ありました。そして今、あるべき場所にいると感じます。
ときには力が不足しているかもしれないと感じることもありますが、トレーニングを着実に続けて結果を出し、このスポーツと糖尿病コミュニティにさまざまな形でお返しをすること、とりわけ自分のキャリアを通じて競技を続けることが、私が大切にしている価値観です。
世界最大の舞台で母国を代表して競い合うことができるのは本当に名誉なことです。多くのアスリートがそうであるように、プロのアスリートになるため、オリンピックに出場するため、多大な犠牲を払ってきました。毎日目が覚めたらベストコンディションを作るというミッションと目的を思い出していますし、夢が叶うかもしれないこのチャンスが当たり前だとは思っていません。オリンピック出場のための準備と、コーチであるアンドリュー ハリスやエッジ サイクリングのトレーニングパートナーたちとトレーニングを延々と積み重ねる日々を楽しんでいます。
オリンピックはアスリートとしての自分のキャリアの頂点となるばかりでなく、私のストーリーをとおして大勢の人たちと触れ合うことで、人生を変える機会にもなるでしょう。応援、どうぞよろしくお願いします。
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