出身国:イタリア、ボルゴリッコ
生年月日:1988年10月28日
身長:178cm
得意分野:スプリンター
1型糖尿病発症:16歳
チーム加入歴:12年
出身国:イタリア、ボルゴリッコ
生年月日:1988年10月28日
身長:178cm
得意分野:スプリンター
1型糖尿病発症:16歳
チーム加入歴:12年
"Diabetes is a part of me, a part of my journey and a part of
my life. We race with diabetes and we win with diabetes. This way we
also inspire everyone who lives with diabetes."
「糖尿病は私の一部であり、私の旅の一部であり、私の人生の一部でもあります。私たちは糖尿病とともにレースをし、糖尿病とともに勝利するのです。そうすることで、糖尿病とともに生きるすべての人に勇気を与えることもできるのです。」
イタリア出身の多才なスプリンターで、世界有数の安定した成績を誇るアンドレア ペロン選手が、2024年もチーム ノボ ノルディスクを牽引します。過去の多くの年と同様に、2023年シーズンも数々の成果を収めました。ツール・ド・ラ・ミラベルで2度の表彰台とポイント賞ジャージを獲得し、グランプリ・クラーニ、ツアー・オブ・デンマーク、ツアー・オブ・ターキーでトップ10入賞を果たし、実りの多いレースができた1年になりました。
ペロン選手にとってチーム ノボ ノルディスク在籍10年目となった2022年は、スロベニアで開催されたグランプリ・クラーニでキャリア初の優勝を飾り、トップ10以上の成績を6回収めるなど、プロとして過去最高のシーズンになりました。
2021年シーズンは、ミラノ~サンレモでのペロン選手の走りで華々しく幕を開けました。モニュメントレースとして名高いこのレースで、彼はスタート直後にいきなり逃げを打ち、先頭集団を形成しました。彼はその後も再三トップ20入りを果たし、チームで最も安定した年間成績を収めました。シーズン最後のレースとなったツール・ド・クロアチアでは、ザグレブ市街地の最終ステージで8位となり、見事にトップ10入りを果たしました。
35歳のペロン選手は、果敢なスプリントが持ち味です。チーム ノボ ノルディスク創設の年、ペロン選手はカナダのツール・ド・ボース、ツアー・オブ・チャイナなどのレースで14回のトップ10入りをしました。 298kmを超える特徴的なワンデーレースであるミラノ~サンレモでは、メインの集団から逃げ集団に加わり、チーム ノボ ノルディスクの名を世界に知らしめました。
彼のプロとしてのキャリアにおけるその他のハイライトは、2019年のシーズンを通して9回のトップ10入り、ツール・ド・コリアのステージ5での表彰台 (2015年) 、ブラジルのボルタ・シクリスティカ・インターナショナル・ド・リオグランデ・ド・スルでの2回のトップ5入り (2016年) 、ツアー・オブ・エストニアのステージ1での5位 (2018年) などです。
幼い頃からスポーツに魅力を感じており、最初はモーターレースを楽しんでいました。しかし10歳の時に両親の勧めで自転車を始め、まもなく競技に出場するようになり、レースを始めた最初の年から結果を出していました。その後、イタリア各地のロードレースで優勝を重ねるうちにプロになることを考え始めました。
ペロン選手が1型糖尿病と診断されたのは16歳の時でしたが、当初はもうレースに出る夢を追うことはできないと思いました。幸運にも、担当医は糖尿病管理のためにも、自転車を使ったトレーニングを続けるよう勧めてくれました。Cyber Team-VC Breganzeで4シーズン成功を収めた後、若きスプリンターはチーム ノボ ノルディスクのスポーツディレクター、マッシモ ポデンツァーナに紹介され、翌シーズンからチームに加わりました。
プライベートでは、自宅でリラックスすることを楽しんでいます。2人の息子のフィリッポとエリアの親であることを誇りに思っています。
主な出場レースと成績
2020
Circuito de Getxo-Memorial Hermanos Otxoa 19位
2019
Tour of Estonia, Stage 1 3位
Tour of Estonia, GC
6位
2018
Tour of Estonia, Stage 1 5位
Tour de Hongrie, Stage 2
7位
2017
Tour of Estonia, GC 10位
糖尿病に関するQ&A
糖尿病の診断を受けたのはいつですか? 糖尿病に気づいた経緯を教えてください。
数カ月ほど、気分が優れないことがありました。具体的に何かがとても悪いということはなかったのですが、万全な体調ではないと感じていたのです。
やがて、視力が落ちてきました。また10分ごとに尿意を覚え、大量に水分を取るようになったのです。
診断を受けたときには、どのように反応しましたか?
当時は糖尿病について何も知りませんでしたので、最初は困惑しました。
家族や友人、仲間のアスリートの反応はどうでしたか?
もちろん最初は、家族は心配していました。それからしばらくは家族を除き、所属していたサイクリングチームの監督以外には糖尿病のことを伝えませんでした。
アスリートとしての人生は終わったと思いましたか? 他の人はどう思ったでしょうか? 医師からはどのように言われましたか?
主治医からはすぐ、アスリートとしての私の生活は終わったわけではないと言われました。
糖尿病を抱えながら自転車レースに参加するというのはどのようなものでしょうか? また調整方法を教えてください。
診断を受けたのはオフシーズンでした。そのため、糖尿病の管理について少し学ぶ時間がありました。
スポーツに関するQ&A
スポーツを始めた経緯について教えてください。
昔、父が趣味として、よく自転車に乗っていました。それで私も父が自転車に乗っているところをよく目にしていましたし、テレビでレースを観戦していました。それで自転車を始めることにしたのです。最初の私の夢はモーターバイクに乗ることでしたが、しばらくしてからサイクリングを始めました。
競技を始めたのはいつですか?
10歳か11歳のころです。
サイクリングのプロ選手になりたいと思うようになったのはいつですか? またそのきっかけを教えてください。
U23カテゴリーでいくつものレースに優勝するようになったころ、プロになりたいと思うようになりました。それから、いくつかのプロチームにアプローチするようになりました。
アスリートとしてのキャリアのなかで、最も大きな成果は何だと思いますか?
レースでベストを尽くせば、大きなレースで10位以内に入ることができると分かったことです。
チーム ノボ ノルディスクの一員として
チーム ノボ ノルディスクに参加した経緯を教えてください。
前の監督が、マッシモ ポデンツァーナ監督 (スポーツディレクター) に引き合わせてくれました。
チームに参加してから、生活はどのように変わりましたか? アスリートとしての生活と個人としての生活の両方について教えてください。
プロのサイクリストになったことで、さらに成長しました。何度も移動しなければならなくなりましたし、そのおかげで世の中の動きを知ることができました。サイクリングを仕事にしたことで、100%サイクリストとしての生活を送ることを学びました。
自転車競技以外 (その他の興味)
トレーニングやレース以外の時間をどのように過ごしていますか? 他に熱心に取り組んでいるものはありますか?
家族や友人と自宅で過ごすのが好きです。
引退したら、何をしたいですか?
ジムかバーか、そのようなものを自分で経営してみたいです。
人生で最も大切なものを3つあげてください。
1.家族
2.満足感
3.成功
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