出身国:フランス、ロレーヌ、
ル・シンディカ
生年月日:1993年10月30日
身長:179cm
得意分野:パンチャー、総合エース
1型糖尿病発症:10歳
チーム加入歴:11年
出身国:フランス、ロレーヌ、
ル・シンディカ
生年月日:1993年10月30日
身長:179cm
得意分野:パンチャー、総合エース
1型糖尿病発症:10歳
チーム加入歴:11年
"Eleven years in this team. It’s been a long journey full of
adventures and after three extremely difficult years, I am extremely
grateful to get such incredible support from everyone in the team
and look forward to 2024, to continue driving change in diabetes
around the world by riding my bike."
「このチームに入って11年目になります。冒険に満ちた長い旅でした。非常に困難な3年間を過ごしましたが、チームの皆から素晴らしいサポートを得られたことに大変感謝しています。2024年も、自転車競技を通じて世界中の糖尿病の変革推進にぜひ貢献したいと思っています。」
フランス、ロレーヌ出身のシャルル プラネ選手は、2024年、チーム ノボ ノルディスクで11年目のシーズンを迎えます。パンチャーとして実績を積み重ね、キャプテンを任されるまでになりましたが、その後3年間にわたって苦境にさらされ続けました。しかし彼は打ちのめされても、そのたびに立ち上がり、シャルル プラネたる所以を示してきました。
プラネ選手は2022年初頭に致命傷級のクラッシュ事故に見舞われてしまい、年度の大半を回復への苦闘に費やすことになってしまいました。彼は根気強く、称賛に値する頑張りを見せました。復帰して明るい2023年を迎えるべく、たゆまぬ努力で回復を目指しましたが、障害を完全に除去することはできず、その後もさらなる転倒骨折事故により、全面的に一からやり直さざるを得なくなりました。チームで最も輝かしい選手の1人である彼にとって、2024年がトラブルのない年になるよう、チーム ノボ ノルディスク関係者一同は願っています。
2021年は、ミラノ~サンレモで見せた得意のブレイクアウェイや、ツアー・オブ・ロードスでのトップ10入りなど、シーズン序盤はチームを盛り上げてくれましたが、その後は体調不良に悩まされ、プラネ選手もつらい1年を送りました。
スペインのシルクイト・デ・ゲチョ、ツール・ド・ハンガリー、オコロ・スロバキアなどのレースで複数のトップ10入りを果たし、フランス国内選手権では難しいコースで19位という印象的な成績を収め、パリ・ツールの過酷な大会ではシーズンを良い形で締めくくりました。
2019年、チーム ノボ ノルディスクで最も優れた成績をあげたひとりであるプラネ選手は、ワールドツアーレースの開幕戦となったツアー・オブ・ポーランドの開幕ステージで「Most Active Rider」ジャージを獲得すると、それをフィニッシュまで守り抜き、チーム初のワールドツアージャージを獲得するという新たな歴史を作りました。
マウンテンバイクとシクロクロスで競技を始めたプラネ選手は、全員が糖尿病を抱えるプロのサイクリングチームのことを聞き、ロードレースへの挑戦を決断しました。ボージュ地方出身、28歳のプラネ選手は、将来有望な才能豊かな選手として総合順位での上位を目指し、成長を続けています。
ツアー・オブ・ポーランドで競い合ったワールドツアーの各選手に強い印象を残したプラネ選手は、ツアー・オブ・カリフォルニアの第1ステージでも、Amgen Breakaway from Cancer「Most Courageous Rider」ジャージを獲得しました。
さらに同シーズンでは、ミラノ~サンレモでは果敢にブレイクアウェイを仕掛け注目を浴び、ツアー・オブ・エストニアではプロローグで4位、総合でも7位となり、ツアー・オブ・デンマークのクイーンステージでは10位、ツアー・オブ・スロバキアの第3ステージでは8位となる活躍をみせました。
その他にも、ツール・ド・ハンガリー (2018年) では総合で表彰台に上がり、ツアー・オブ・エストニア (2018年) の第2ステージで5位、総合で8位となり、カナダのツール・ド・ボース (2015年) の第1ステージとツール・ド・コリア (2016年) の第5ステージではともにトップ10入りを果たしています。
父親もサイクリストだったプラネ選手は、8歳の時にはすでにマウンテンバイクのレースに出場していました。1型糖尿病と診断されたのは10歳の時、両親は診断当初、糖尿病について理解がなく困難を感じながらも、それまでと何も変わらない生活ができるように支えてくれました。ロレーヌ地方のマウンテンバイクとシクロクロスの元チャンピオンであったプラネ選手は、2013年のフランス全国マウンテンバイクチームリレー選手権でも優勝チームの一員として活躍しました。
2013年、チーム ノボ ノルディスクの存在を知り、ロードレースへの転向を決意。チームからアメリカで行われたLitespeed BMW Twilight Criterium へのプロ候補生として呼ばれ、ジョージア・サイクリング・グランプリでは、総合9位の成績を残しました。その後、プロチームと契約を果たしました。
主な出場レースと成績
2020
Circuito de Getxo-Memorial Hermanos Otxoa 7位
Okolo
Slovenska/Tour de Slovaquie, Stage 2 9位
Tour de Hongrie, Stage
1 11位
2019
GC, Tour of Estonia 7位
Points GC, UAE Tour 6位
Japan Cup Cycle Road Race 16位
Mountain Classification, Tour
de Pologne 16位
2018
GC, Tour of Estonia 8位
Tour de Hongrie, Stage 2位
Japan Cup Cycle Road Race 16位
糖尿病に関するQ&A
糖尿病の診断を受けたのはいつですか? 糖尿病に気づいた経緯を教えてください。
診断を受けたのは10歳の時でした。何週間かとても喉が渇き、5分ごとにトイレで用を足さなければならない日が続きました。両親はとても心配し、私の血糖値の検査を希望しました。その後、医師から1型糖尿病との診断を受けました。
診断を受けたときには、どのように反応しましたか?
何が起こったのか、まったく理解できなかったのを覚えています。何が起こっているのか、誰も詳しく説明してくれなかったのです。
私は両親に車に乗せられ、病院に連れていかれました。覚えているのは、まるで2、3日どこかに出かけるかのように、両親がバッグに何枚かの服を詰めていたことです。行先が病院だと分かったのは、その後のことです。
医師は私をベッドに寝かせ、腕に点滴しました (インスリンだと思います) 。私はあまりにも幼く、何が起こっているのかよく分かっていませんでしたから、それほど深刻には受け取りませんでした。しかし家族は、とてもショックを受けていました。
家族や友人、仲間のアスリートの反応はどうでしたか?
何もかもが初めての経験だったので、家族も最初は大変な思いをしました。家族で糖尿病を抱えている人はいませんでしたし、両親も糖尿病のことはほとんど知りませんでした。だから最初のころ、両親は「どうして息子が糖尿病になってしまったのだろう?息子のためには何でもしてあげたのに、何が間違っていたのだろう?」と悩んでいました。
覚えているのは、多くの友人と家族が病院に見舞いに来てくれたこと、そして皆が私と家族をサポートしてくれたことです。
アスリートとしての人生は終わったと思いましたか? 他の人はどう思ったでしょうか? 医師からはどのように言われましたか?
最初は、そう思いました。アスリートとしての私の生活は終わったと。ただ、私はまだ幼かったので、その後のサイクリングについて心配する人は誰もいませんでした。皆、大事なのは私の心身の健康だけだと考えていましたから。
医師はいつも励ましの言葉で私と家族をサポートしてくれました。また1型糖尿病を抱えていても生活できるし、健康に育つこともできると理解させてくれました。それが私たちにとって大きな支えとなりました。
糖尿病を抱えながら自転車レースに参加するというのはどのようなものでしょうか? また調整方法を教えてください。
調整するために最も大事なのは時間と経験だと思います。強い意志があり、意欲があれば、糖尿病を適切に管理しつつ、優れたアスリートとなることができます。必要なのは、ただ身体の声に耳を傾け、体調を把握することだけです。そうすればいずれ、成功を収めることができるでしょう!
スポーツに関するQ&A
スポーツを始めた経緯について教えてください。
両親の影響で始めました。両親は私に何でもしてくれました。両親がいなければ、いまの私には何もないでしょう。
競技を始めたのはいつですか?
サイクリングを始めると、すぐに競技に参加するようになりました。何しろ、生まれつき人と競争するのが好きで、しかも負けず嫌いなものですから!
競技を始めたとき、自分の糖尿病のことについて誰か (チームメート/コーチ/トレーナー) に話しましたか?
もちろんです。話さない理由などありますか? 私には何も恥じることなんかありませんよ! 私の面倒をみてくれる人には伝えて理解してもらうことが大事だと感じました。調子が悪いときもあるかもしれませんが、皆が理解していてくれさえすれば問題はありません。
サイクリングのプロ選手になりたいと思うようになったのはいつですか? またそのきっかけを教えてください。
サイクリングを始めた瞬間からです。私はいつも自分の力を信じてきました。常に頑張ってきましたし、私の情熱そのものであるサイクリングに何もかもを捧げてきたのです!
いまでは、糖尿病を抱えているにもかかわらず、情熱そのもの、すなわちサイクリングで生活を送るという夢を叶えたといえます。私はいつもプロのサイクリストになりたいと思っていました。それは私の一部です。私は競技者であり、そのために頑張ってきました。
アスリートとしてのキャリアのなかで、最も大きな成果は何だと思いますか?
チームか私が初めて優勝する時が、最大の成果となるでしょう。その日が近いことを願っています。そうすれば、糖尿病を抱える人々に何ができるのかを示すことができるのですから。
その次にあげるとすれば、チームがワールドツアーの中心的な存在となることでしょうか。そしていずれは、ツール・ド・フランスに参加できる日も来るでしょう。
レースや競技にまつわる最も嬉しい思い出を教えてください。
プロになってからの最大の思い出は、アムジェン・ツアー・オブ・カリフォルニアの第1ステージで「Most Courageous
Rider」ジャージを獲得したことです。
私は懸命にブレイクアウェイを仕掛けました。このジャージを2日間守ったこと、そして世界で最も優秀なサイクリストたちとレースを競ったことは、私にとって名誉なことでした。
チーム ノボ ノルディスクの一員として
チーム ノボ ノルディスクに参加した経緯を教えてください。
2013年、私はプロ候補生として育成チームに参加しました。両親はチームのことを知っていたので、私はこれまでの成績リストを育成チーム監督のダニエル
ホルトに送ることにしました。すると監督は私に、チームとともに1カ月間、レースに出場するチャンスをくれたのです。
そこでいくつかの好成績をあげました。2つのレースで優勝し、数多くのレースでトップ5入りしました。そして2014年にプロチームと契約したのです。私にとって大きな成果でした。
チームに参加してから、生活はどのように変わりましたか? アスリートとしての生活と個人としての生活の両方について教えてください。
私は情熱とともに生き、夢とともに生きています。それ以外に何があるでしょうか?
私は人生を楽しんでいます。そしてアスリートとしての全ての瞬間を楽しんでいます。レースのときも、トレーニングのときも、家族といるときも。なぜなら、それこそがとても素晴らしい瞬間だと知っているからです。
自転車競技以外 (その他の興味)
トレーニングやレース以外の時間をどのように過ごしていますか? 他に熱心に取り組んでいるものはありますか?
家族や友人、そしてもちろん愛する彼女とともに過ごしています。
他のアクティビティも試しましたが、他のスポーツをプレーするために割く時間がないです。サイクリングはとても厳しいスポーツなのです。
引退したら、何をしたいですか?
サイクリングチームの監督をやってみたいですね。それから、コーチとか、スポーツディレクターとか……とにかく、サイクリングに何かしら関わっていたいです。
人生で最も大切なものを3つあげてください。
1.家族
2.恋人
3.健康であること
JP24CD00099