出身国:アイルランド、リムリック
生年月日:1992年7月19日
身長:171cm
得意分野:オールラウンダー
1型糖尿病発症:19歳
チーム加入歴:12年
出身国:アイルランド、リムリック
生年月日:1992年7月19日
身長:171cm
得意分野:オールラウンダー
1型糖尿病発症:19歳
チーム加入歴:12年
"I’m hoping to make a quick comeback from injury and get the
most out of this season with as many race days as
possible."
「怪我から早期に復帰して、できるだけ多くのレースに出場し、今シーズンを最大限に楽しみたいです。」
チーム ノボ ノルディスク参加12年目を迎えるアイルランド出身、30歳のステファン クランシー選手は、2024年もチームに欠かせない存在になるでしょう。クランシー選手は、アイルランド自転車競技連盟から「国内年間最優秀選手」に選出されるなど、数多くの栄誉をすでに獲得しています。またツアー・オブ・チャイナI & IIでともに安定した成績をあげるなど、2019年シーズンを順調に締めくくりました。2020年から2021年は混乱したシーズンでしたが、2022年と2023年は安定したパフォーマンスを披露しました。2024年は、怪我からの早期復帰を目指しています。
2017年には、ツアー・オブ・ウタ オープニングステージにおいてAmerica First Credit Union’s fan
favorite
jerseyを獲得。このジャージは、サイクリスト、社会、慈善などの観点で理想的でプロ意識があるという観点から一般投票で選出されます。彼のベスト成績は2015年のUCI
2.1カテゴリーのツアー・オブ・チャイナIステージ3での4位入賞です。
少年時代からスポーツ好きだったクランシー選手ですが、16歳の時に自転車一本に絞りました。初めてのタイムトライアルで勝利を収め、徐々に出場するレースの規模を大きくしながら実績をあげ、アイルランドでトップクラスのチームであるDan Morrissey-Speedyspokesとの契約に至りました。トレーニングキャンプ中の定期検診で高血糖が判明し、再検査で1型糖尿病と診断を受けました。医師に糖尿病をもちながらハードな競技である自転車を続けることは糖尿病の管理をより複雑にしてしまうだろうと言われました。
翌日にはインターネットでチーム ノボ ノルディスクの存在を知り、そのことが、自転車競技に戻るモチベ―ションを上げてくれました。すぐに育成チームにいたアイルランド人の選手にコンタクトを取り、それから半年もしないうちにプロチームに加わりました。
学生時代にはあがり症で、人前で話すのが苦手だった自分が、糖尿病について公の場で語るアンバサダーになるとは思いもよらなかったと語るクランシー選手。今ではすっかり自身の話をすることで誰かを元気づけることができることに喜びを感じています。チーム ノボ ノルディスクに入る前には、体育教育を学んでおり、プロ生活引退後も自転車や糖尿病に関する仕事をしていきたいと考えています。既婚で2人の子供をもつ熱狂的な音楽好きで、ギターを (子供たちも!) 常に持ち歩くことができないのが悩みです。
主な出場レースと成績
2019
Tour of China II, Prologue 22位
Tour of China I, Stage 2
23位
2018
Tour of China II, Stage 3 24位
2017
America First Credit Union’s fan favorite jersey – Tour of
Utah, Stage 1
Grand Prix Cycliste de Saguenay, Stage
2 11位
Tour of China I, Stage 3 4位
Colorado
Classic, Stage 1 17位
糖尿病に関するQ&A
糖尿病の診断を受けたのはいつですか? 糖尿病に気づいた経緯を教えてください。
2011年は、これまでの人生で最高のサイクリングシーズンでした。レースで優勝し、アイルランド国内のベストライダー賞を受賞しました。冬の間はナショナル・デベロップメントチームでハードなトレーニングを行い、アイルランドのトップチームと契約していました。
こんなに強い気持ちになったことはありませんでしたし、素晴らしい結果を出すことが待ち遠しかったのです。ところが、2012年シーズンの最初のレース直前に、何の前触れもなく体重が減り始めたのです。幸運なことに、アイルランドのデベロップメントチームのヘッドコーチが、各ライダーに血液検査を受けるよう勧めてくれたのですが、私の検査結果は、血中の糖分が高いレベルにあることを示していました。
レースに出ようとしましたが、序盤で落とされてしまいました。チームメートによると、痩せすぎていて誰だかわからなかったそうです。次のレースには自転車で参加しましたが、あまりの気分の悪さに見守るしかありませんでした。
数週間後、主治医が別の検査をしてくれたのですが、その結果を受け取ったのは、大学の授業の一環として教室で教えているときでした。
学校を出てすぐに病院へ行き、2012年3月28日に1型糖尿病であることが確認されました。
診断を受けたときには、どのように反応しましたか?
私は完全にショックを受け、本当に信じられませんでした。最初の血液検査で血糖値が高かったときも、私は医師に「糖尿病の可能性はないですよね?」と聞きました。
まさか糖尿病だとは思ってもいませんでしたが、今から思えば、少なくとも、いつも空腹で体重が減ってしまうこと、常に喉が渇くこと、頻尿、口が渇くことについては、糖尿病だということで説明がつきました。
家族や友人、仲間のアスリートの反応はどうでしたか?
最初は皆、本当に驚いていました。ほとんどの人は、私にとって何を意味するのか、何が変わるのか、何ができるのか、できないのかを主に心配していたと思います。
もちろん、家族は私のことを心配していて、血糖値の結果をいつも知りたがり、少し高いか低いかだけでも大丈夫かどうか確認していました。
アスリートとしての人生は終わったと思いましたか? 他の人はどう思ったでしょうか? 医師からはどのように言われましたか?
はい、診断後24時間は、私はもうサイクリストにはなれないと思っていました。
病院の糖尿病専門医は、私が熱心なサイクリストであることを知ると、糖尿病は管理が難しい病気であり、その上、極端な運動をすることは事態をより複雑にする可能性があると言いました。そして1マイル以下のサイクリングを勧められました。
私はこれを聞いて涙が出ました。しかし、幸いにもテレビでチームを見た記憶があったので、ネットで調べてみると、糖尿病をもちながらもレースに出場している人がいることがわかりました。
私はすぐにインスピレーションを得て、この新しい挑戦に正面から立ち向かう意欲が湧いてきました。そして、適切な医療チームのサポートにより、1マイル以上のサイクリングをすることができたのです!
糖尿病を抱えながら自転車レースに参加するというのはどのようなものでしょうか? また調整方法を教えてください。
最初は、全てを注意深くモニターしなければならないことに違和感を覚えました。ただ、1日に20回、時には自転車に乗っている20〜30分ごとに血糖値をチェックしなければならないというのは、新しい経験であり、日常の変化でもありました。
また、食事には常に気を配っていましたが、炭水化物の摂取量をより気にするようになり、炭水化物の量を測るようになりました。また、食事・インスリン・血糖値の日記をつけることで、どのような影響があるのかをすぐに把握し、失敗から学んで日々の管理を改善していきました。
スポーツに関するQ&A
スポーツを始めた経緯について教えてください。
私は学校でサッカーを始め、13歳頃まで地元のクラブで定期的にプレーしていました。その後、地元のクラブでラグビーに挑戦したり、ゴルフクラブやサーフィンクラブにも所属していました。
私は幼い頃からサイクリングが好きでした。最初は近所を走るだけでしたが、家族旅行でフランスに行ったときには、自転車専用道路を走るために自転車を持って行きました。
やがて初めてのレーシングバイクを購入し、16歳の頃からマウンテンバイクやロードレースに参加するようになりました。
レースに夢中になり、年々真剣に取り組むようになり、そこから自転車のキャリアが始まりました。
競技を始めたのはいつですか?
私がレースを始めたのは16歳のときでした。初めてのレースは、アイルランドのインターナショナル・ジュニア・ツアーで、特に初心者にとってはかなり高い水準のレースでした。何もかもに圧倒されましたが、とても好きになり、何度も足を運びました。
サイクリングのプロ選手になりたいと思うようになったのはいつですか? またそのきっかけを教えてください。
2、3年のレース経験を経て、ある程度成功し始めた頃から、プロとしてやっていけたらと考えていました。スポーツに情熱を傾けている人は、それを仕事にすることを夢見るものだと思います。
アスリートとしてのキャリアのなかで、最も大きな成果は何だと思いますか?
糖尿病と診断されてから、1マイル以上の距離を自転車で走ったことは、その上位に入るでしょうね。
その後は、2011年にアイルランドで開催されたCharleville Two-Dayでのステージ優勝と総合優勝でしょうか。
レースや競技にまつわる最も嬉しい思い出を教えてください。
診断後の最初のレースで、私は逃げ集団の中にいて、血糖値をチェックする必要がありました。走りながらポケットからモニターを取り出したところ、他の選手が私のそばに来て、「レース中に携帯電話を持ってきて、それを使っているなんて信じられない」と驚きの表情を浮かべていました。
同じレースで、5位でゴールした後、私は涙を流しました。糖尿病と診断された自分がここまで成功したことに感動したのです。
私の反応を見て、レースに優勝したのかと怪訝に思った人がいたかもしれませんが、それは私にとって特別な瞬間であり、画期的な出来事でした。
チーム ノボ ノルディスクの一員として
チーム ノボ ノルディスクに加入した経緯を教えてください。
私はチームに、糖尿病を抱えながらレースに参加するためのアドバイスを求めてメールを送ったのですが、同時にチームは私が糖尿病を抱えたサイクリストであると認め、その後、3週間のトライアル期間を設けて育成チーム参加のオファーをもらいました。
私はその誘いを受け、周囲には「数日休むだけ」と言って大学と自転車屋での仕事を休むように手配しました。
しかし、その試用期間中に、私はチーム ノボ ノルディスクと初めてのプロ契約を結ぶことになりました。その結果、大学や仕事を数日以上も休まなければならなくなったのです。
チームに参加してから、生活はどのように変わりましたか? アスリートとしての生活と個人としての生活の両方について教えてください。
チームに参加してから、私の仕事はフルタイムのアスリートです。つまり、常にトレーニング、栄養、回復に集中しています。
最も大きな変化のひとつは、旅をすることです。1年のほとんどをスーツケースで過ごし、多くの新しい国を旅しています。また、多くの異なる言語に囲まれていることも、私にとっては新しい経験です。
自転車競技以外 (その他の興味)
トレーニングやレース以外の時間をどのように過ごしていますか? 他に熱心に取り組んでいるものはありますか?
私は音楽が大好きで、音楽を聴きながらギターを演奏することを楽しんでいます。ヘッドフォンとトラベルスピーカーは、レースに出かけるための荷造りをする際の優先事項のひとつです。
読書もしますし、旅先では最新の映画を見るようにしています。
家にいるときは友人と一緒に過ごすことが多く、オフシーズンには普段できないスポーツやアクティビティを楽しむ時間があるのもいいですね。
引退したら、何をしたいですか?
まだわかりません。
人生で最も大切なものを3つあげてください。
1.家族と友達
2.健康
3.幸せ
JP24CD00099