日本におけるインスリン製剤や糖尿病治療の歴史について、知られざるエピソードを交えてお届けする全10回の連載シリーズ。第4回は、糖尿病の克服に向けて欠かせない役割を果たす2つの団体、「日本糖尿病学会」と「日本糖尿病協会」をご紹介します。
日本が戦後の復興期にあった頃、国内における糖尿病の症例は少なく、世間的にもあまり注目されていない病気でした。しかし医師や研究者たちは「この先、復興を遂げた日本ではきっと経済が発展し、生活習慣が変化するなかで糖尿病のある方も増えるはずだ」と未来を見据えて、研究を一心に続けていました。そして1957年、それまでの研究成果や糖尿病に関する正しい知識を、一人でも多くの患者さんを救うために広めようと、日本糖尿病学会は創立されました。
学会は、治療が難しい糖尿病のある方に対してどのように対処するのがよいか、よりよい治療を実現するためにはどうしたらよいかなど、治療のあり方について意見を交換できる場をつくり、糖尿病にまつわる研究を前へ前へと進めてきました。また、糖尿病のある方とそのご家族のために糖尿病に関する理解の促進を目的とした小冊子「糖尿病治療の手引き」や、治療に適した食事を簡単に作れるようサポートする「食品交換表」を編集するなど、糖尿病のある方がよりよい治療を受けられるように情報を提供してきました。これらの文献は、医学の進歩に合わせて改訂が重ねられています。
学会は1958年、国際機関である国際糖尿病連合 (IDF) に加盟しますが、その際「患者さんをはじめとした、専門家ではない人々による組織をつくって活動するように」求められました。これがのちに、学会の活動とは異なる全国の糖尿病のある方などによる「日本糖尿病協会」の設立へとつながりました。
国際糖尿病連合 (IDF) から要請があった翌年の1959年から1961年にかけて、「レイマン組織
(糖尿病のある方および医師以外の人たちによる組織) 」が次々と設立されます。「熊本かいどう会」を皮切りに、福岡、京都、東京など全国各地へと徐々に広まっていきました。
1960年には学会とレイマン組織のメンバー約80人が東京に集まり、「会員をはじめ国民がもっと糖尿病のことを知って、治療や予防に役立てられるよう、全国的な一つのレイマン組織をつくろう」と準備を始め、1961年に日本糖尿病協会が設立されました。
協会設立が実現したのは、単に「国際機関からの要請があったから」ではありません。「糖尿病治療のレベルを高めるためには、レイマン組織の存在がどうしても必要で、その組織の活動を助けるのが医師の使命だ」という、学会員や糖尿病専門医たちの熱い思いと心強い支えがあってのことでした。
協会は全国で10の支部、3,295人が参加する組織としてスタートし、各都道府県に支部ができるまでに成長します。
協会は、インスリン自己注射の公認に向けた国への働きかけから、情報発信のための機関紙「さかえ」の発行、小児糖尿病サマーキャンプの助成まで、専門家ではない立場からも患者さんの治療をよりよくしようと努めています。また、米国糖尿病協会と提携を結んで国際交流のベースをつくったほか、日本小児糖尿病協会と合併し、現在では約10万人の会員を擁する大きな組織になりました。
日本糖尿病学会と日本糖尿病協会は、互いの目標を確認し合い支え合ってきました。例えば、学会がつくった機関紙の印税による収入で協会の活動を支援したり、治療についての議論の場を一緒に開催して情報を交換したりと、両者はお金・情報・人とのつながりなどさまざまな面で協力し合っています。大きな取り組みとして、1965年から毎年11月に「全国糖尿病週間」を共同開催し、国民の皆さんに糖尿病の知識を広め、早めの受診や治療を促す活動をしています。
全国どこでも同じような治療と支援が受けられる体制を日本糖尿病学会がしっかり整え、日本糖尿病協会と協力のうえ糖尿病についての知識を全国に広めていく、2つの団体は共に歩むパートナーとして糖尿病の克服に向けて尽力しています。