1921年、カナダの外科医フレデリック バンティングらは、膵臓からの抽出物が血糖値を下げることを発見し、この抽出物はインスリンと名付けられました。また1922年には世界初のインスリン投与が行われ、糖尿病に対するインスリン治療が始まりました。当時海外では、インスリン製剤は牛や豚といった家畜からつくられていましたが、実は日本では魚や鯨の臓器からつくられていました。
インスリンの製造が始まった1920年代以降の日本は国の情勢が右肩下がりに悪化しており、また家畜資源が乏しい国内の事情も相まって、家畜の臓器が自由に使えませんでした。そこで、インスリンの原料としてカツオやマグロなど魚由来の臓器が着目されるようになったのです。
水産資源を原料にしたインスリンは、哺乳動物の膵臓を使うより精製が簡単なため、安定した生産ができると期待されました。しかし、漁獲量が減少したことや品質を高めるのが難しかったこと、そして輸入製剤が急増したことなどにより、魚由来のインスリン製剤は衰退していきました。
この魚由来のインスリン製剤に代わって登場したのが、鯨由来のインスリン製剤です。魚由来のインスリン製剤が衰退するなかでも必要とされるインスリン製剤の量は年々増加し、原料不足を補うために牛や豚と同等量のインスリンをもつとされる鯨が活用されるようになりました。日本企業はこぞって鯨由来のインスリンの抽出・精製に取り組み、1946年には量産の体制を築きあげます。しかし安定して生産することはできず、また貿易の自由化によって輸入製剤がさらに増えたことにより、鯨由来のインスリン製剤も魚由来のインスリン製剤と同じ道をたどることになりました。
海外では牛や豚の哺乳動物から抽出されたインスリンの使用が主流だったなか、魚や鯨からつくられるインスリン製剤は、哺乳動物による一般的なインスリン製剤と比べて構造が大きく異なる、珍しい日本独特の製剤でした。これらは長く使われることはありませんでしたが、畜産資源に乏しい状況下で、研究者たちがさまざまな工夫を凝らしてつくりあげた、努力の結晶だったのです。