日本におけるインスリン製剤や糖尿病治療の歴史について、知られざるエピソードを交えてお届けする全10回の連載シリーズ。第6回は、糖尿病治療のひとつであるインスリンの自己注射が定着するまでの60年に及ぶ道のりをご紹介します。
日本では昔、患者さん自身がインスリン注射を行うことは「自己毀損罪」として法律で認められておらず、自己注射をさせる側の医師も注射行為を助けたとして罪に問われました。そのため、患者さんは高価なインスリン製剤の購入に健康保険を利用することができず、自費で治療を受けていました。
欧米ではインスリンが開発された初期から、自己注射が当たり前の医療として認められていました。一方、日本では1923年頃、研究者たちの間で患者さんによる自己注射の必要性が説かれていましたが、長い間認められていませんでした。これには、注射は医療行為であり、医療は医師だけが行えるものだという、日本に古くから根付く意識が影響していたといわれています。当時は、生命維持のためにインスリン製剤が不可欠な患者さんが少なく、患者さんによる自己注射の必要性が議論されることもありませんでしたが、歳月とともに患者さんが増えるにつれて、自己注射の要望が強まっていきました。
患者さんによるインスリンの自己注射の公認をめぐって奮闘したのが、全国の糖尿病のある方などによる組織である日本糖尿病協会です。
1971年には全国的な署名活動を行い、約11万4,000人の賛同を得て当時の行政機関である厚生省に提出しましたが、この署名によって問題が取り上げられることはありませんでした。また当時、一部の医師と自治体で実現された「患者さんが来院されたときに当日の分を注射し、残りの薬液を患者さんに渡しておく」という方法が広がりをみせましたが、それも厚生省の反対にあい停止せざるを得ない状況となりました。
自己注射の公認に向けて熱心に取り組んだのは協会員だけではありません。日本糖尿病学会に所属する学会員は「注射を含む治療を、医師と患者さんとでともに行うべき」とこの問題に大きな関心を寄せ、学会理事が個人の連名で厚生省に申し入れを行いました。また、「注射は医師だけが行えるものだ」との考えが根強かった医師会にも働きかけ、医師会における賛同者も増やしていき、少しずつ事態は良い方向に向かっていったのです。そして、協会や学会、熱心な医師たちの働きかけが実り、1981年6月、患者さん自身によるインスリンの自己注射が認められるとともに保険適用も実現しました。
「医療は医師だけのものではなく、患者さんとともに、手を取り合って進んでいくべきだ」という考えが、医師を含む国民の考えとして徐々に定着し、国がそれを認め、現在の形へと繋がったのでした。
【参考文献】
・公益社団法人日本糖尿病協会 『日本糖尿病協会20年史』、1986年、p24,143
・社団法人日本糖尿病学会
『糖尿病学の変遷を見つめて 日本糖尿病学会50年の歴史』 、2008年、p66,126
・Diabetes
Journal編集委員会 編、『日本における糖尿病の歴史』 山之内製薬株式会社1994年、p286