日本におけるインスリン製剤や糖尿病治療の歴史について、知られざるエピソードを交えてお届けする全10回の連載シリーズです。第8回は、糖尿病とともに生きる人々における毎日の献立づくりの道を切り拓いた食品交換表のあゆみについてご紹介します。
食品交換表とは、糖尿病のある方における食事療法の献立を考えるときに、適した熱量 (カロリー)
と、糖質、脂質、タンパク質が等しく摂れるような計算の基盤となるものです。各食品を栄養素により6つの表に分けて食品ごとに1単位分
(80kcal) の重さ (g) で表し、医師は1日あたりの単位数と各表の振り分けを指示します。
これにより、患者さんは自ら食品を選んで献立を考えることができ、バランスの良い食事療法を行うことができるのです。例えば、ごはんを減らすには、かぼちゃを何グラム摂ればよいかというような、食品同士の交換が簡単に計算できます。
適正なエネルギー量の算出や詳細図表はこちらよりご確認いただけます。
糖尿病治療における最初の食事療法は、糖尿をなくすために糖質を抑えてタンパク脂肪食を摂る厳重食事 (今でいう糖質制限食)
が主でした。しかし、徐々に糖尿病の病態が明らかになってくると、重症度により厳重食事が有用でないことも分かってきます。そこで、飢餓療法や乳療法
(最初はロバの乳)、米療法、燕麦療法、 殻物療法というような食事療法が相ついで登場します。しかし、これらはどれも患者さんの栄養状態を低下させるため、やはり厳重食事が大半を占めていました。
インスリン製剤が臨床で使われ始めた1920年代に入ると、3要素 (糖質、タンパク質、脂肪) と摂取カロリーを合わせて算出することが重視され、いくつもの食品交換表が考案されていきます。
このような過程を経て糖尿病治療の食事療法は、厳重食事から現代の食品交換表を使った栄養学的なものへと変化していったのです。
食品交換表の走りは1920年代、ドイツのvon LichtwitzによるWeiss brot (白パン) 単位だと言われていますが、当時の目的は糖質制限であったため現代のものと主眼が異なります。わが国でも糖質等量表とよばれるものがこれに相当し、白米飯100gに置き換えて用いられていました。
1950年にアメリカ糖尿病学会が発表した食品交換表は、主食を米とし肥満度の少ない日本人にそのまま当てはめることができず、日本独自のものが次々と考案されていきます。
なかでも、虎の門病院内分泌科主任であった葛谷 信貞 (くずやのぶさだ) 先生らにより作成された交換表は、各表間での食品の交換も可能で、どの栄養素が摂れる食品なのかという全く別の視点から分類した世界初のものでした。例えば、糖質を主とする食品の中に白米飯といった主食のほか、野菜や果物、砂糖、甘味飲料も分類しています。これにより、患者さん自身が栄養素について知識を身につけ、自ら献立の立案に取り組むことができるのです。
食品交換表は糖尿病のある方にとって、食生活に自分らしさを持ちながら治療に向き合うための欠かせないツールです。何人もの研究者による知恵について、日本糖尿病学会が1965年に統一し食品交換表を発表しました。2013年には数々の改良を加え、第7版まで発刊されています。この食品交換表は、今もなお完結することなく、わが国の伝統ともいえる食習慣を基盤にし、変化する糖尿病治療や社会変化とともに、日々歩み続けているのです。