中学2年生で1型糖尿病を発症。
福岡大学医学部卒業後、東京女子医科大学付属病院、九州厚生年金病院、福岡赤十字病院などの勤務を経て、1998年福岡市に南
昌江内科クリニックを開業。
日本内科学会内科認定医、日本糖尿病学会専門医、日本糖尿病学会評議委員。
主な著書には「わたし糖尿病なの」(医歯薬出版)などがあり、2011年10月には病院スタッフと共著のレシピ本「アイディアいっぱい糖尿病ごはん」が出版される。
※2011年取材当時の情報です。
福岡県でクリニックを開業されている南 昌江先生をご紹介します。南先生の専門は糖尿病で、同時にご自身も糖尿病とともに生きています。インスリンを使いながら、たくさんの糖尿病のある方を診ていらっしゃいます。医師として、患者として、南先生は、どんな糖尿病生活を送っていらっしゃるのでしょう。その生活を2回にわたって特集します。
糖尿病とわかったのは、中学2年の夏休みでした。クラブ活動(バスケットボール)に励んでいましたが、とても疲れるのと、喉の渇きが激しかったのをよく覚えています。そして、体重がどんどん減って、痩せていきました。そんな様子をみて、両親が心配し、病院に連れて行ってくれました。そこで、糖尿病、当時は小児糖尿病と診断を受け、一生インスリンが必要ですよと言われました。当時の私は、インスリンのおかげで体の辛い症状がなくなり、とても楽になったことが嬉しくて、『糖尿病になったこと』や『一生インスリンを打たないといけない』ということに、さほどショックをうけませんでした。それより9月の体育祭に参加したくて、それまでに退院できるよう願っていたことをよく覚えています。
当然、退院までに自己注射を覚えなくてはなりませんでした。果物や野菜を体に見立てて、注射の練習をしました。
入院した際、同室は4歳の男の子でした。彼も同じ1型糖尿病で、お母さんがインスリンを打ってあげていました。同じ病気で、こんな小さな子でもちゃんとできるのだから、私もがんばらないといけないなと思いました。
私がインスリン治療を始めた頃は、今と比べるとずいぶん針が太かったです。ちょうど今の採血の針くらいの太さでした。とても痛かったので、注射の際は、目をつぶって「エイッ」と打っていました。でも、入院した頃の体調に比べたら、すこぶる元気になったので、インスリンを使えば、運動でも何でもできると思えるようになっていました。当時は、1回に注射する量も2ccくらいで多かったせいでしょうか。大腿部(ふともも)に打っていました。痕が残ってボコボコしていましたが、今ではだいぶきれいになっています。
今は針がずいぶんと細くなりましたから、痛みはほとんど感じません。血糖自己測定(SMBG)や針、インスリンの種類、注入器など、糖尿病治療に必要なものはずいぶん進歩しました。これらをうまく活用することで、自分の体調管理が簡単になったと感じています。
しかし、糖尿病は食事・運動を取り入れ規則正しく生活をすることが、とても大切です。治療が進歩しても、この点は忘れずにいたいと思います。
退院当時のインスリンは、1日1回の投与でした。インスリンは家でのみ打てばよかったので、糖尿病になったあとも生活の変化はあまり感じていなかったと思います。しかし友人達も夏休みの入院生活を知っていたので、糖尿病ということは話していました。
ただ、低血糖が心配だったので、クラブ活動の前などは、補食をしてから参加しました。自分一人がおやつを食べることが嫌で、友人のぶんもおやつを持っていき、みんなで一緒に補食をした楽しい記憶があります。担任、そしてクラブ活動の先生はとても心配してくださいましたが、特に大きな問題はありませんでした。
私は、糖尿病であることは決して恥ずかしいことではないので、周りの方に話した方がよいと思います。補食やインスリン注射も理解してもらえると思いますし、万が一、低血糖を起こした時に、助けてもらうこともできると思うからです。
成人してからは、「1型糖尿病です」というと、「甘いものは全然食べないの?」とか「お酒を飲んではいけないのでしょ?」などと言われたこともありました。明らかに誤解です。私は、運動量とのバランスを取りながら、好きなものを食べ、お酒も楽しんでいます。
今考えると、中学2年生で1型糖尿病を発症したため、当初両親はとても心配しました。でも、私には両親が悲しんだり、落ち込んだという記憶はありません。父は私に「自分の体に責任を持つように」とよく言っていました。「病気があるから人一倍努力しなさい」、「自立できるようにしなさい」など、厳しいことも言われました。特別扱いされたことはありませんが、どちらかというと、厳しくされた感じです。でもそれは愛情の裏返しだったと感じています。
実際、1型糖尿病から逃げることはできません。毎日、できるだけ規則正しい生活を心がけます。しかし、挑戦は必要だと感じています。糖尿病でなかったら、私は医師になっていなかったと思います。糖尿病だったからこそ、いろいろなことに挑戦し、夢をつかんできたと感じます。
糖尿病になると、生活が制限されると思っていらっしゃる患者さんも多いのかも知れません。私は「糖尿病は苦痛ではない」ことをみなさんにお伝えしたいと思っています。1日3度、適量の食事をなるべく決まった時間に摂り、適度な運動をすることは、特別なことではありません。むしろ、昔から人々が行ってきた健康的な生活です。生活を規則正しくすることは良いことなのです。食事や運動に気をつけながらも「糖尿病にしばられない」ようにしてほしいと願っています。そして、目標を持って生活することも大切です。楽しめることから、食事療法でも、運動療法でもはじめてください。さあ、何か楽しいことをしよう!と考え、実行し、人生を楽しんでいただきたいと思います。
中学2年生で1型糖尿病を発症。
福岡大学医学部卒業後、東京女子医科大学付属病院、九州厚生年金病院、福岡赤十字病院などの勤務を経て、1998年福岡市に南
昌江内科クリニックを開業。
日本内科学会内科認定医、日本糖尿病学会専門医、日本糖尿病学会評議委員。
主な著書には「わたし糖尿病なの」(医歯薬出版)などがあり、2011年10月には病院スタッフと共著のレシピ本「アイディアいっぱい糖尿病ごはん」が出版される。
※2011年取材当時の情報です。
※この記事は2011年に行った取材を基に作成しています。
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