Go to the page content
3 min. read

徳川家康 (1542~1616)

NO.14

徳川家康は三河国の松平広忠の嫡男として生まれ、幼名は竹千代と呼ばれました。幼少期は今川義元の人質として忍従の日々を過ごしますが、桶狭間の戦い後、織田信長の盟友として活躍し、戦国の世を生き抜き、江戸幕府を開いた人物として知られています。

30代の家康の代表的な肖像(徳川家康三方ヶ原戦役画像:別名しかみ像/徳川美術館蔵)を見ると、筋肉質な体型ですが、中年以降の肖像では、肥満体として描かれており、糖尿病的素因があったとも言われています。さらに壮年期の家康は下腹が出ていて、自分では帯が締められず、侍女たちの助けを借りて着がえをしていたそうです。

一方で家康は、健康には人一倍関心が強く、大勢の侍医を召し抱えただけでなく、自らも専門書を入手して、多くの薬剤を調合しています。

実際、暴飲・暴食を避けるだけなく、連日のように、刀術、槍術、弓術などに身を入れ、鷹狩りなどの野外運動を心がけていました。糖尿病的素因があっても、食事療法・運動療法を積極的に行い、自己管理ができていたのかもしれません。その甲斐があったのか、徳川家15代の将軍の平均寿命は51歳ですが、家康は70代半ばまで長生きしています。

多くの戦国武将が志半ばで病に倒れるのを見聞きしていた家康は、最後に勝利を掴むのは健康長寿な者であると考えていたのかもしれません。

 

日光東照宮 陽明門

故事逸話や聖人賢人など500以上の彫刻が施されており、いつまで見ていても見飽きないことから「日暮の門」とも呼ばれています。

監修 内潟 安子 [ 創刊によせて ]
東京女子医科大学
東医療センター 病院長

編集協力
岩﨑 直子、尾形 真規子、北野 滋彦、中神 朋子、馬場園 哲也、廣瀬 晶、福嶋 はるみ、三浦 順之助、柳澤 慶香
(東京女子医科大学糖尿病センター)
アイウエオ順

 

JP23DI00118