東京都墨田区の幸田露伴文学碑
NO.16
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幸田露伴は「五重塔」「運命」などで有名な文豪です。江戸、現在の東京都下谷に生まれ、幼少期から草双紙、読本を愛読するだけでなく、俳諧や漢学、漢詩を学びました。和漢の古典文学に通じていただけでなく、生活全般の幅広い知識を持っていたことでも知られています。
露伴の釣り好きは有名ですが、それ以上にお酒好きだったようで、寒風の中、わざわざ海に舟を出したのに、釣りをやめてお酒を飲み始めてしまったという逸話も残っています。
毎晩のように重ねる杯、そして健啖家としても知られた露伴の体格は、幼少の娘の目には「胸は酒やけで赤く、蛙のおなかのような肥った腹」と映ったようです。実際、露伴は長年糖尿病を患っていたと、娘が書き残しています。しかし、露伴はまぎれもなく明治文学界の重鎮であり、その功績から、70歳にして第1回文化勲章を受章しています。
露伴が約10年間住んでいた「向島蝸牛(かぎゅう)庵」は、現在、愛知県の博物館明治村に移設保存されており、登録有形文化財(建造物)になっています。また、娘の幸田文、孫の青木玉、曾孫の青木奈緒はそれぞれ文筆家となり、その血脈は脈々と受け継がれています。
東京都墨田区の幸田露伴文学碑
JP23DI00118