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安禄山 (705~757)

NO.21

安禄山はソグド人の父と突厥(とっくつ/とっけつ)人の母の間に生まれました。ソグド人とは中央アジアに住んでいたイラン系の種族で、その容貌は鼻が高く、彫りが深く、ひげが濃かったと言われています。突厥人はトルコ系遊牧民です。安禄山は数種の言語を理解したと言われ、 節度使(各地方の防衛をするために置かれた役職)であった張守珪の部下となって戦功を立て、巧みに玄宗とその寵妃楊貴妃に取り入りました。そして3つの節度使を兼任し、多くの兵を配下に持ちました。楊貴妃の一族が政権を握ると反目し、755年に安禄山の乱(安史の乱)を起したことで知られています。

戦いに長け、一時は政権に手が届いた安禄山ですが、晩年はお腹の肉が膝の下まで垂れ下がるほどの肥満であったと言われています。また、眼病も患っていたことから、糖尿病であったとも考えられています。腫瘍にも苦しみ、次第にノイローゼ気味になり、思い通りにいかないことがあると、周りの人たちにひどい八つ当たりもしたことがあるようです。

時の皇帝を失脚させるほどの力のあった安禄山ですが、最後は子の安慶緒らに暗殺されました。中国史の中では長く逆臣であった安禄山ですが、漢民族と周辺民族との新たな関係を作った人物として、異なる目で研究が進められています。

参考図書
「安禄山 安史の乱を起こしたソグド人」
森部 豊 山川出版社
「肥満-梟雄 安禄山の生涯」
東郷 隆 株式会社エイチアンドアイ

 

安禄山が雄武皇帝として即位した、洛陽にある隋唐洛陽国家遺址公園

監修 内潟 安子 [ 創刊によせて ]
東京女子医科大学
東医療センター 病院長

編集協力
岩﨑 直子、尾形 真規子、北野 滋彦、中神 朋子、馬場園 哲也、廣瀬 晶、福嶋 はるみ、三浦 順之助、柳澤 慶香
(東京女子医科大学糖尿病センター)
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