藤原道長の邸宅の一つ京都土御門第跡。「望月の歌」はここで詠まれたと言われています。
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平安時代の最高権力者藤原道長は、その絶頂期に娘三人を相次いで宮中に送り込み「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という和歌を詠んだことで有名です。道長の長女彰子(一条天皇の中宮)に仕えたのが紫式部。源氏物語の主人公、光源氏のモデルは道長で、物語はその栄華の世界の写しと言われています。
そんな栄華に満ちあふれた道長は、美酒美食に明け暮れ、運動不足となり、さらには権力闘争でストレスも強かったためか、中年過ぎからは、しばしば口の渇きを訴え、昼夜なく水をほしがり、脱力感にもおそわれていました。これが、日本で最初の糖尿病のある方としても知られる道長が訴えた症状です。その後、白内障か糖尿病網膜症により眼が見えにくくなったようです。さらに、背中にお椀ほどの大きな腫れ物ができ、寝込みました。免疫力が低下し、ちょっとした傷でも化膿を起こしやすい糖尿病の症状と考えられます。道長は、これが原因となり、敗血症に陥り、最期は多臓器不全で他界したと考えられています。62歳の生涯でした。
後年、道長は「第15回国際糖尿病会議」の記念切手(平成6年)に、六角形のインスリン結晶と共に描かれています。
藤原道長の邸宅の一つ京都土御門第跡。「望月の歌」はここで詠まれたと言われています。
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