セミナーレポート記事 【Live Your Dream!1型糖尿病を持つアスリートによるWebセミナー】
共催:公益社団法人日本糖尿病協会、ノボ ノルディスク ファーマ株式会社
2020年12月20日(日)午前10時30分~12時00分
<プログラム>
第一部 ~1型糖尿病アスリート達のストーリー紹介~
第二部 ~ディスカッションと質疑応答~
ジャスティン モリスさん、杉山新さん、マンディ マルクワット選手
昨年末、クリスマス前の12月20日の週末に、『Live Your Dream! 1型糖尿病を持つアスリートによるWebセミナー』が、公益社団法人日本糖尿病協会とノボ ノルディスク ファーマ株式会社の共催で行われました。日本とアメリカ、そしてオーストラリアを中継で結び、3名の1型糖尿病を持つアスリートが、糖尿病発症からさまざまな困難を乗り越えて夢を実現した自身の体験を語り、また、患者さんから寄せられた質問に回答しました。糖尿病と診断されると、多くの人は望み通りの生活ができなくなると考えてしまいますが、糖尿病を発症しても希望を捨てず、才能を生かしてトップレベルへの挑戦を続けたアスリート達の話は、多くの気づきと勇気を与えてくれました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、小児糖尿病サマーキャンプなどのイベントが中止となる中、100人以上の糖尿病のある方やそのご家族が参加されました。
1型糖尿病を持つ3名のアスリートたち
セミナーはまず、3名のアスリートの自己紹介から始まりました。
トップバッターは、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府等で活躍された元Jリーガーの杉山新さん。続いてアメリカからは、自転車トラック競技の米国ナショナルチームメンバーで、2021年開催予定の東京五輪参加を目指す女性アスリートのマンディ マルクワット選手。最後に、オーストラリアから元チーム ノボ ノルディスクのプロサイクリング選手で2019年マウンテンバイク世界選手権 オーストラリア代表選手のジャスティン モリスさんが自己紹介をされました。チーム ノボ ノルディスクとは、世界初の全員が糖尿病とともに生きるプロサイクリングチームであり、マンディ選手とジャスティンさんは、そのチームメンバーです。
■ 杉山新さんのご挨拶(日本)
「おはようございます。杉山新です。感染予防のためマスクをつけています。僕は6年前までJリーグでプロサッカー選手をしていました。大人になってから1型糖尿病を発症したので、子供のころのつらい経験はないですが、発症して感じたことを子供たちに伝えていきたいと思っています。よろしくお願いします。」
■ マンディ マルクワット選手(アメリカ ペンシルバニア州)
「マンディ マルクワットです。今日は皆さんにお話しするのを楽しみにしています。10年間にわたりチーム ノボ ノルディスクのプロサイクリストとして活動してきました。そして、米国のナショナルチームのメンバーでもあります。来年、(東京オリンピックで)皆さんにお会いできたら嬉しく思っています。」
■ ジャスティン モリスさん(オーストラリア タスマニア州)
「おはようございます。私はジャスティンモリスです。」と、ジャスティンさんは、最初に日本語でご挨拶されました。
「1型糖尿病を発症して、もう24年です。そして、チームメンバー全員が1型糖尿病であるチーム ノボ ノルディスクのプロサイクリング選手を10年やってきました。本日は、皆さんにお話できて嬉しいです。また、杉山さんやマンディさんの話を伺えるのも楽しみです。」
1型糖尿病アスリート達のストーリー
自己紹介の後、さっそく第一部が始まり、杉山新さんとマンディ マルクワット選手から、それぞれの体験ストーリーをお話しいただきました。
■ 「絶望なんかで夢は死なない」杉山 新さん
僕は1999年、18歳の時に柏レイソルでプロサッカー選手としてスタートし、合計5チームでプレイして、2014年にFC岐阜で引退しました。23歳でヴァンフォーレ甲府に移籍した年に1型糖尿病を発症しました。それから今まで病気と向き合いながらやっています。23歳で1型糖尿病だと言われた時、「なんだよ!」と思いました。当時、まわりに1型糖尿病とともに生きる人が、誰もいなかったのです。入院生活は、野球の読売巨人軍にいたガリクソン
(ビル ガリクソン('88~'89)、1型糖尿病)
の本を読んで過ごしました。他に、何も情報がなくて、どうしたらいいかわからない手探りの状態でした。11月に発症したのですが、タイミングが悪くて、というもの、サッカー選手の契約期限というのは1月31日なのです。発症のちょうど1か月後に、来年の契約を更新するという時期でした。この時、ヴァンフォーレ甲府からは、現状で契約はできないと言われました。「何でですか?」と聞くと、「例がないから、まわりにいないから」というのが答えでした。投げ出された状況でした。自分は、「サッカーがしたい、まだできる」という思いがあり、その日は落ち込んで部屋に帰りました。でも、後から聞いた話ですが、会社の社長や主治医のドクターなど、いろいろな人が僕にチャンスを与えてくれと言ってくれたそうです。それで、「1月から3月の間に結果を出してくれ」となったのです。何もわからない状態です。だけど、サッカー選手を続けたい。あのピッチ1万人のお客さんの中でプレイがしたいという思いだけがありました。それで、手探りでノートに血糖値を記録していきました。その時の選手時代の血糖ノートがこれです。
血糖値をノートに記録し続けて、自信を持てた
初に発症した11月4日に血糖値を測って、ノートをつけていきました。運動すれば血糖値は落ちていくのですが、どのくらいやったら落ちるのかがわからない。グラウンド1周走って血糖値を測って、2周走って血糖値を測ってと、プレイする時間を延ばしながら血糖値を測り、そうやって少しずつ自分で自信つけながらやっていきました。これを続けて、3年ぐらいたった時には自信がもてました。発症して、1月から3月の間にサッカー選手としてプレイできるということを証明して、再契約を取って、その後、甲府、大宮、横浜、岐阜で12年間プレイができて、そして、今があります。この時期に、このノートをつけて、自信を持てた。これがあるから自信ができたというのはあります。今は引退したので、プレイするシーンを皆さんにお見せすることができないのですが、走るのが得意な選手でした。
1型秒尿病の子供たちの夢を応援
引退してからは、Jリーグや世界で活躍できるサッカー選手を育成することと、もう一つは、1型秒尿病の子供たちの夢を応援する活動をしています。引退して (小児糖尿病) サマーキャンプで子供たちと触れ合う機会があり、どうしても自信が持てなかったり、トイレや保健室に (インスリン) 注射を打ちに行ったりというのを聞きました。僕は大人発症ですが、やっぱり人前で注射を打つのは、すごく勇気が必要だったんです。何を言われるのだろうと、僕もコソコソして隠れながらトイレに行って注射を打っていました。大人だからなんとか我慢できるけど、子供たちにその我慢をしてもらいたくない、一歩踏み出してもらいたいという思いがあって、子供たちの夢を応援する活動をやっています。2017年にレアルマドリードでプレイする1型糖尿病を持つナチョ フェルナンデス選手の記事を読んで、突発ですけど、「ああ、この人に子供たちを会わせたいなぁ」と思ったんです。どうやったらそのお金を集められるだろうと考えて、クラウドファンディングでいろいろな人の支援をいただいて450万円を集めることができました。同年、子供たち5人とスタッフ6人の計11人で、スペインへ行きました。この写真は、試合の前日に撮ったものです。
単にナチョのプレイを見ることができればいいと思っていました。だけど、まさに奇跡というのですかね、自分たちの目の前で彼のゴールを見ることができたのです。そして、先制点を取ったナチョが、僕らに向かってハートを作ってくれたのです。いや、これは感動しましたね。隣で見ていた子供たちが、これだけ喜んでガッツポーズしている。ゴールも嬉しかったけど、子供たちの喜びように鳥肌が立ちました。そして、第二回目は、2020年の新型コロナウイルス感染症が広がる前に、実現することができました。普段、なかなか感情を表さない子供たちが、ナチョに会ったときには、すごく喜んでいて、「あぁ、やってよかったな」って思いました。子供たちに勇気をもって一歩でも前に踏み出してもらいたい。だから、少しでも多くの人たちに1型糖尿病を知ってもらう活動をしています。「絶望なんかで夢は死なない!」。この子供たちの笑顔、いい顔してますよね。
■「五輪を目指して」マンディ マルクワット選手
「こんにちは」マンディ マルクワットです。もっと日本語を話せるようになれたらいいのにと思ってます。私は、チーム ノボ ノルディスクで活動するとともに、全米代表のナショナルチームメンバーです。
今日は、ペンシルベニア州の自宅から中継しています。コロナ禍でずっとステイホームですが、いつもいろいろな所に遠征していたので、家にいてペットや家族と一緒に過ごせる時間がとても嬉しいです。また、自分で料理したり、規則正しく生活して、糖尿病の管理をきちんとする機会を得られたことも、私にとっては良かったです。
こちらの写真は、私がサイクリングを始めた時のものです。初めて着たこのジャージに書かれているのは日本語だと思うのですが、漢字がすごくカッコいいなと思って着ていました。私は、東京オリンピック出場を目指しているので、初めて着たジャージに日本語が書いてあったというのは、つながりを感じてなんだか嬉しく思います。私の父はドイツ人、母はアメリカ人で、私はドイツで生まれ、その後、母の出身地のフロリダで育ちました。小さい頃は、泳いだり、トライアスロンをしたり、ランニングをしたり、いろいろな運動をしてすごく活発な子供でした。中でも、自転車は、すごくスピードが速いところが大好きでした。10歳の時、初めて全米の自転車トラック競技に参加したのですが、なんと金メダルを2つ取ることができたんです。
真ん中にいるのが、その時の私です。そして、一緒に表彰台に上がった女の子たちとは、素敵なことに今も競技人生を一緒に送っています。いままで、世界中でトレーニングや競技をしてきた中で、日本人のトラック競技選手である田仲駿太さんにも会うことができましたし、ジャスティン モリスさんとはチーム ノボ ノルディスクでチームメイトになりました。私は、こういった国際的な競技人生が私から取り上げられるということは、全く考えたことはありませんでした。14歳の時に、私の両親が離婚し父と共にドイツに戻りました。私にとって、これは大変な移行期間でしたが、ヨーロッパのレースに参加する貴重な経験や、自転車でドイツの素晴らしい場所を冒険するなど、今までにない経験もできました。ドイツはスポーツを通じていろんな素晴らしい人に出会った場所なんです。
糖尿病発症は、私の転換点
ドイツのナショナルチームに入り、500メートルのタイムトライアルで銅メダルを取りました。その数か月後、違う大会に出た時に、私の血糖値が高いということがわかったのです。私は、それがどういう意味か分かりませんでした。16歳の私は、本当に毎日が楽しくて、いつでも食べたいものを食べていたのです。病院に行った方がいいよと言われ、1週間入院しました。自転車にも乗れないし、検査を受け続けて、本当につらい時期でした。内分泌専門医の先生から「マンディ、糖尿病を持った状態でスポーツはできないよ」と言われたのです。「それはどういう意味ですか?できないってどういうことですか?」と聞き返しました。それは本当に衝撃的だったので、良く覚えていますし、今でも蘇ってきます。私は、病院の部屋の中で、本当に孤独を感じました。でも、このことによって、父と私は本当に関係が強く親密になれました。父は、「マンディ、ドイツの中で一番いいお医者さんを見つけて、もう一度競技できるようにするからね」と言ってくれたのです。私も「お父さん、信じるよ」と答えました。父は、頭ごなしに無理だと言わず、励ましてくれました。父が私を信じ続けてくれたことが本当に嬉しかったのです。父が約束どおり探してくれた別の医師に会ったとき、「とにかく私は自転車に乗りたいんだ、一番嬉しいんだ、楽しいんだ」と訴えました。そして、父と共に、糖尿病で何が可能なのか、どういった食べ物がどう血糖値に影響を与えるのか、一つずつ検証しました。私はティーンエイジャーで思春期でしたし、学校のことも、血糖値のことも、いろいろなことを考えなくてはならなくて、それは、とても難しいことでした。でも面白い時期でもありました。糖尿病と診断を受けた直後に、インスリンを投与しながら血糖値が改善し、同時に学校の成績もよくなり始めたのです。このことは、私にとって転換点でした。糖尿病という診断を受ける前は、調子が悪くて、周りに「どうしたの?」と聞かれても、わからないと答えていました。運動選手だし、疲れているだけなのかな、脱水なのかなと、思っていました。原因が分からなかったのです。でも診断を受けてから、どうしてなのか理解できました。糖尿病になって、初めは大変でしたが、いろいろなことを学べたので、悪いことではないと思っています。そして、再びドイツナショナルチームのメンバーになることができて、同じ競技で銅メダルを取れたのです。信じられませんでした。本当に、特別な瞬間でした。実は、糖尿病になって、私は自分を拒否したこともありましたし、インスリンを投与しなかったこともありました。自分自身を落ち込ませ、自分自身の期待を裏切っていたのだと思います。でも糖尿病でないときも、糖尿病を発症した後も、こうしてメダルを取れたということは本当に大きなことでした。父も母も私を信じてくれました。近しい人から、このような形でサポートを得られたのは、とても重要でした。
人生を変えたチーム ノボ ノルディスクとの出会い
2009年に、大学に通うためフロリダに戻りました。そして、その年にチーム ノボノルディスクに出会い、私の人生は本当に変わりました。ジャスティンをはじめ、多くの糖尿病とともに生きる人に会うことができました。最初「なんだこれ?」って思ったんですね。そして、「糖尿病とともに生きる人が、こんなにいる。素晴らしいわ」と思いました。普段だと、私だけに糖尿病があるという環境ですが、チーム ノボ ノルディスクは糖尿病とともに生きる人のほうが多いのですから。また、本当に刺激を受けるアスリートが多くて、これによってプラス思考になれました。ある時、チームのキャンプで糖尿病について話し合う時間があって、泣いてしまったんです。今はこんな風に話せますが、10年前は、自分の糖尿病のことを話すことが難しくてできませんでした。自分にとって糖尿病は新しいことだったし、どういう風に話せばいいかわからなくて、それに、糖尿病について知っている人も少なく、糖尿病とともに何ができるのかも良く知られていなかったんです。チーム ノボ ノルディスクに加わり、糖尿病であっても何ができるのか、そして、我々が及ぼせるインパクトというのを理解しました。チーム ノボ ノルディスクのメンバーは皆、家族のような存在なんです。糖尿病になった当初は、自分のキャリアはもう終わってしまったと思ったのですが、チーム ノボ ノルディスクに入って、人生が変わりました。今になって思えば、私は、ここに来るべくして来たのだと思います。糖尿病は栄養管理が必要ですから、遠征をするときは、いつもスーツケースの半分は食べ物です。「備えあれば憂いなし」です。2型糖尿病でも、また、糖尿病でない人でも、食べ物に気を付けなければいけないし、運動は重要です。最高のアスリートになるために私は毎日努力していますが、1型糖尿病になったことで、規律が重要だということを学び、自分の身体を管理できるようになり、より良いアスリートになれたと思っています。そして、精神的にも食事を楽しむこと。糖尿病を得たことで、自分の食べ物に気を付け、そして自分の身体がその食べ物に対してどう反応しているのかということをより気を付けて観察するようになりました。
糖尿病とともに生きる人を代表して挑む
2014年に大学を卒業し、米国ナショナルチームに入りました。そして、私はワールドカップで、あこがれの人たちと競技ができました。私のコーチは、糖尿病であることを良く理解してくれており、一緒にトレーニング内容を考えてくれています。
これは昨年、米国ナショナルチームで競技をした時の写真です。この写真を見ると本当に誇らしい気持ちになります。単にレースに勝つということではなくて、糖尿病を持ちながらこれを達成することができたこと、そのことによって、世界中の人に影響を与えることができたことを誇りに思います。アメリカを代表する選手となれたことは、本当に素晴らしい気持ちです。何年にもわたって糖尿病とともにトレーニングを続けてきました。重要なのは結果だけではないのです。いろんな失敗をしましたが、それも含めて結果に至るまでのプロセスが大事です。時間はかかるけれども少しずつやっていかなければいけません。
スプリントは戦術を要する競技なのですが、戦術を考えるところが、とても好きでワクワクします。多くの場合、ゴールは1ミリぐらいの差で、写真で判定されます。ここでは、戦術がとても重要なんです。実は、糖尿病でやってきたことが、競技にも役に立っています。つまり、いろいろな結果に対して柔軟に対応しなければいけないのですが、同じことが糖尿病についても言えます。アメリカ代表のユニフォームを着るとき、自分とアメリカを代表するだけでなく、糖尿病とともに生きる人たちも代表しているように思っています。
今年は本当に困難な年でしたけれども、いろんな意味で素晴らしい年でした。オリンピックが延期されたというニュースはとても受け入れるのが難しかったのですが、6月に強化選手が発表され、その一人に選ばれました。オリンピックに出場できるかどうかは、2021年の5月に決まります。まだ、待たなくてはいけませんし、忍耐力が必要です。2020年は競技がありませんでしたが、タイムトライアルイベントで、自分の全力を出しきって全米記録を出すことができました。
私は、1型糖尿病を持ちながら、18のナショナルタイトルを持ち、全米記録を出し、米国ナショナルチームのメンバーとなり、東京オリンピックを目指しています。私は、今まさに、夢を実現しようとしています。このことを誇りに思います。人生で何が起こるかはさまざまですが、それに対してどう対応するかが大切です。その結果を見据えて全力を尽くすということです。糖尿病のある方は素晴らしい機会を持っているということを忘れないでください。ご静聴ありがとうございました。
ノボノルディスクのYouTubeチャンネルで私がトレーニングしているところをご覧いただけますので、ご覧いただければ嬉しく思います。
■ 糖尿病のある方からの質問に3名のアスリートが回答
杉山新さん、マンディ マルクワットさんの素晴らしい講演に続き、第2部は、心理学にも詳しいジャスティン モリスさんのリードで、事前に寄せられた糖尿病のある方からの質問に、3名のアスリートが、それぞれご自身の体験から回答しました。
ジャスディン モリスさん(以下、ジャスティンさん):
杉山さん、マンディさん、素晴らしいプレゼンテーションをありがとうございました。
とても多くの教訓があったと思います。特に2020年は、私たちは人生の中で大きな課題に直面した年であり、ポジティブでいることを難しくしました。
私も、チーム ノボ ノルディスクのメンバーも、モチベーションを高く持ち続けることに困難を感じていました。確かに、今は、私たちにとって大変な状況であるわけですが、その大変な状況を認識することで、どうしたらポジティブな思考でいられるのかについてのヒントになると思います。
マンディさんは、糖尿病とともに生きることで、自分の人生の状況に適合していく力を得ることができたとお話されました。糖尿病でなくても、さまざまな環境に対して適合性を高く持ち、さまざまなシナリオに対して対応していくという能力は重要です。また、杉山さんは、ロールモデルの重要性を指摘されていました。私が小さかった頃、ロールモデルがいたことは幸運でした。
杉山さんは、1型糖尿病をもっている野球選手がいたことで、人生の中で何かを達成することができるということを教えられたと語りました。
ロールモデルがいることで、幸せに気づくことができるのは大切です。これはコロナ禍でも言えることです。今年は、「悲しくてもいいんだ」ということを教えてくれた年でもあったと思います。大昔に人の思考回路が作られた時は、小さな村の中で起こっていることに対して対応するというものでした。しかし、現代では、地球の裏側で何が起きているのかを知らなければいけない世界になっています。私は、タスマニアというとても小さな島に住んでいますが、スマートフォンを見れば、イギリスやアメリカで起きていることを、瞬時に知ることができます。こういった多くの情報は、人間の思考回路が扱うには過剰すぎます。思考がそれを受け止めきれないので、マイナスな気持ちになってしまうということがあるのです。
でも、ネガティブな思考があってもいいじゃないですか。常にポジティブでなくてもいい、時には、悲しい気持ちになることがあってもいいのです。混乱してしまうということがあってもかまいません。その中から、どうやったらプラスになれるのかということについて、考えていくことが必要だと思います。そのために、自分の近いところで、小さいところから始めていきましょう。
マンディさんは、サイクリングのキャリアが、お母さんやコーチなど、自分の近しい関係からでき上がったとお話しされていました。今年は、どこにも旅行できなくなり、いつもやっていたことができなくなって、皆さんも自分の家の中などの小さな範囲にフォーカスしたでしょう。私もそうしました。犬の面倒を見たり、植物を植えたり、そういった小さなところからハッピーなことを見つけていくことに努めました。ぜひ皆さんも小さなところから幸せを見つけてみてください。外を見ると、情報が多すぎてパンクしてしまいます。まずは小さいところから始めてみてください。コロナ感染によるこの状況は、大変なことですけれども、必ず終わります。
どんな嫌なことでも、必ず終わりが来ます。マンディさんも、杉山さんも、アスリートとして、怪我を経験されていると思いますが、とても大変な経験でも、必ず終わります。糖尿病の診断を受ける時は、最初はすごく大変です。でもその気持ちは永遠に続くわけではありません。必ず解決策はあり、トンネルの先には光があります。
それではいくつか質問をいただいていますので、お答えしていきたいと思います。
*質疑応答の回答内容は、それぞれのアスリートの個人的な経験です。ご自身の糖尿病治療・血糖管理に関する対応については、主治医の先生にご相談ください。
<質問1>
「競泳をしていますが試合前の血糖管理に悩んでいます。皆さんはどのようにコントロールしていますか。ベストを出すためにどれくらいの血糖値へとコントロールしているのでしょうか。」
ジャスティンさん:
それでは私からご回答しましょう。アスリートとしてのキャリアから、経験が最も重要なツールだと思っています。適切な血糖値を見つけるには、経験が重要です。そして、私を助けてくれる看護師の方や主治医の先生などからの助言も大切です。これらが、適切な血糖値を知る道具になります。さまざまな状況の経験を積んで学んでいくことが重要だと思います。
では、杉山さん、マンディさんにもお答えいただきたいと思います。
杉山さん:
僕もグラウンドを走って、血糖値を測ってと、その繰り返しで少しずつ自信をつけていきました。いろんなことのチャレンジです。サッカーは3時間半前に食事をしますが、試合90分前に250mg/dLぐらいの血糖値でスタートして、運動して、ハーフタイムで200~150mg/dLぐらいに落とすといったイメージでやっていました。
マンディ選手:
私の場合は、毎日が違うと理解することが重要でした。トレーニングをしている時、レースをしている時、血糖値はそれぞれ違います。一貫性をもってやろうと思っています。若い頃は、食べた後に血糖値がどうなるのかなどを、きちんと記録していました。そこから、この食べ物は血糖値を上げる、この食べ物はそうでもない、というのがわかるようになりました。そういうことにアンテナを張って理解することです。あらゆることが、血糖に影響を与えますので、しっかりと見極めていくことが重要です。そのような形で、きちんと自分で受け入れて、毎日最善を尽くしているのだと考えるようにしていました。できる限りのことをしました。それが重要だと思います。これをやればすべてに適応できるというものは、ありません。
<質問2>
「血糖管理がうまくいかなくて落ち込んだ時、どうやって気持ちを切り替えていますか?そんな時に周囲の人からどんな言葉をかけてもらえたら嬉しいですか?」
ジャスティンさん:
私の場合は、罰したり、気持ちが落ち込むような言葉より、サポートの言葉や励ましの言葉が欲しいです。糖尿病で悪い状態があるのは避けられないことです。でも、そういった悪い状態が私達を決めるわけではありません。ロールモデルのことを考えるといいと思います。血糖管理が上手くいかなくて、とても落ち込んでいるときに、私は自分のロールモデルである糖尿病を持つラグビーの選手の本を読んでいました。糖尿病でも、血糖管理が難しくても、何かすごいことができるんだということを思い出し、落ち込む気持ちを軽減させていました。
杉山さん:
僕は、発症した当時、チームメイトに糖尿病だと言えませんでした。1型糖尿病ということに注目されるより、サッカー選手として評価してほしかったからです。ただ、血糖管理が悪い時に、誰にも言えないということが、すごく苦しかった。プレイしている時にチームメイトにその悩みを伝えられたら良かったなと思います。周りに糖尿病だと伝えて、ポジティブな言葉をもらえたら、落ち込むことも軽減できたかもしれません。
マンディ選手:
私もその通りだと思います。ポジティブな言葉をもらう、周りの人たちからサポートの言葉をもらう、これがすごく大事だと思います。米国ナショナルチームでは糖尿病でない人もいます。実は、チームメイトたちは、私の血糖管理の仕方というのを観察しています。私が血糖値のモニターをしたり、いつもおやつを持ち歩いたりしているのを近くで見ているのですが、それは彼女達にとっても、役立つことなのではないかと思います。私は、自分の糖尿病のことをチームメイトに話すことができますし、そうすることで、糖尿病に対するマイナスのイメージというものを払拭できるのではないかと思っています。自分の属しているコミュニティからサポートをもらう、そして、それによってハッピーになる、これが重要だと思います。
ジャスティンさん:
素晴らしいお答えだったと思います。共通している中心的なメッセージは、糖尿病にはサポートしてくれるチームが必要だということです。糖尿病を持っている人だけが戦うのではなくて、その戦いを成功裏に終わらせるためには、サポートチームが必要だということです。
次の質問です。
<質問3>
「アスリートとして、試合に『勝つ』ことを目標にして日々の練習をされていると思います。『1型糖尿病と戦う』ことに対しては、日々どのような目標を持たれていますか?また、1型糖尿病に対して『戦う』というイメージをお持ちでしょうか?」
ジャスティンさん:
これは面白い質問だと思います。私は、糖尿病と戦っているというよりは、自分の人生に糖尿病を持っている、だから共存してやっていかなければならない、という考えです。友達との関係と同じように、時には対立することもあるだろうし、喧嘩することもあるけれど、一方、ハッピーできちんとコントロールできているという状態もあります。ですから、糖尿病と手を取り合って一緒に良い方向に向かっていくということが重要だと思います。私が糖尿病と戦おうとしたり、糖尿病を持っているという現実を拒否しようとすると、下り坂になってしまいます。ですから、糖尿病を敵というよりはチームメイトのように見ています。
では、この質問も杉山さんとマンディさんに伺いたいと思います。
杉山さん:
僕も戦うというより、一緒に付き合っていくっていう感じですね。血糖値が上がりすぎたらトレーニングをして落とす、上がりすぎず下がりすぎずのポジションをキープできるように。僕は、戦うというより、長くサッカー選手をやるために向き合っていくという感じでした。
マンディ選手:
全く同じですね。一生涯のチームメイトだと思っています。いつも私の中にあるものです。今は、テクノロジーやサポートしてくれる人々がいて、糖尿病を管理するリソースがあるので感謝します。糖尿病は私の一部で、毎日付き合っていくものという風に考えています。
ジャスティンさん:
興味深いことに、チーム ノボ ノルディスクの選手の一人が「Diabetes my teammate (糖尿病、私の生涯のチームメイト)」という本を書いているので、日本語にも翻訳されるといいなと思っています。
それでは次の質問に参ります。
<質問4>
「低血糖症状を予防している方法を教えてください」
ジャスティンさん:
低血糖は、1型糖尿病の中の一部として付き合っていかなくてはならないものだと思っています。低血糖は、良いことではないし、心地よくもありません。ただ、そこから学べることがあります。一つ、低血糖を予防するのに役立つ手段は、継続的な血糖値のモニタリングです。でも、このような継続的な血糖モニタリングが無くても低血糖を防止することはできます。マンディさんが、糖尿病のある方は一番準備が整っている人だとおっしゃっていました。常に炭水化物も持ち歩くなど、血糖を管理しようと備えていましたね。
杉山さんとマンディさんの方から付け加えることはありますか?
杉山さん:
僕は、サッカーをしている時にはアドレナリンが出ているので、下がることはなかったですね。低血糖の予防というよりは、血糖値が上がっていくので、注射の量で調整していたのと、万が一低血糖になったときのため、薄めたスポーツ飲料水やブドウ糖の準備はしていました。
マンディ選手:
まさに、準備というのが常にカギとなります。トレーニングでやっているのと同じように、レースの時にもやろうと心がけています。もちろん、さまざまな変数があります。遠征に行けば、時差などもありますし、競技の時には数千もの人が自分を見ているわけですから、トレーニングの時と状況は違うわけですが、それに対応しようと努めました。また、スポーツ心理学の専門家のサポートも受けています。サッカーと同じように、アドレナリンが出ていますので、低血糖の心配はそれほどありませんが、レースの後はすごく注意しなければいけないと考えています。毎日状況は変わりますから、常に準備万端にしています。
ジャスティンさん:
準備、そして、忍耐。この2つの言葉が低血糖を予防するためには重要なようですね。そして経験も大事ということです。
では次の質問です。
<質問5>
「インスリンポンプを使っています。服装によっては面倒なことがあります。ポンプは面倒ではありませんか?」
ジャスティンさん:
私はポンプでなく注射を使っていますが、アスリートやサイクリストの中にはポンプを使っていて、それで大丈夫だという人もいます。ポンプであれ、注射であれ、適切に血糖管理ができる投薬量を特定することが望ましいということだと思います。私にとっては、ポンプを体に繋げなくていいというのは有難いことです。ポンプを常に身につけなければいけないということで、いろいろなトラブルがあるということについて理解できます。
杉山さん、マンディさん、ポンプは使ったことはありますか?
杉山さん:
ポンプのメリット、デメリットがあると思います。サッカーの指導をしていた時に腰にポンプを付けていた時期があったのですが、小さなお子さんの顔に当たったり、何度かあぶないと思ったことはありました。今は僕も注射に戻しています。
マンディ選手:
ポンプは使ったことはありません。私は注射の方を好むからです。そして満足しています。うまく自分に合うものを見つけることが重要だと思います。
ジャスティンさん:
はい、一番適切な、自分の個々の条件に合うものを見つけることが重要ですね。
次の質問です。
<質問6>
「試合や練習前にインスリンを投与する場合は、どれくらい時間をあけるようにしていますか?また、試合や練習前の血糖値が高い場合はどのように対処していますか?」
ジャスティンさん:
これは興味深い質問で、答えは異なってくると思います。杉山さんとマンディさんは、短時間で密度が非常に高いスポーツで、アドレナリンを非常に使います。私のしているスポーツは、非常に時間が長くて耐久型ですので、その場合は、しっかりと長く血糖が保たれるように管理しなければならないのです。運動の強度というのが血糖値にも影響を与えるので、レースの前にどのように治療やインスリンを投与するかは、それによって決まってくると思います。気候や高度や天気など、さまざまな異なる要因が、血糖値に影響を与えることを学んできました。ですので、異なる環境を経験して、試していくことが重要です。そして、杉山さんがおっしゃったように、さまざまな血糖値との関連性を見極めていくことだと思います。その情報を使って、低血糖、高血糖を試合の前に管理していくことだと思います。
杉山さん:
僕は、試合前には食べる量と注射の量をほぼ一緒にしていました。リズムを崩したくないというのがありました。高血糖で、追加で注射を打ったことがありましたが、下がりすぎてしまって、怖くて今はできないです。だから高血糖になった時は、激しい運動をします。
マンディ選手:
いろいろな試行錯誤が必要です。そして少しずつ改善をしていくということです。トレーニングでしたことを試合でも再現しようとしています。タイムゾーン、アドレナリン、ウォームアップ、あるいは交通状態によって(投与は)少し遅れるかもしれません。常に万全に準備できるわけではないですが、いろんな条件によって異なってきます。
ジャスティンさん:
次はとても特別な質問です。1型糖尿病でロードバイクにも乗る方からの質問ですので。
<質問7>
「私も1型糖尿病をもち、ロードバイクにも乗ります。運動前の基礎インスリン量の調節をどのようにしていますか?また、長距離ライド後のインスリン感受性の変動のコントロールが難しいです。どのように対策していますか?」
ジャスティンさん:
まず、チーム ノボ
ノルディスクにようこそ!と言いたいと思います。私の答えは、先ほどと同様、準備しなければいけないということです。最近は、血糖測定器がジャージのポケットに入れて持ち歩けるサイズになっています。また、食べ物やインスリンペンやポンプも入れることができます。ですので、自転車に乗るときは、ちょっと何か違うなと思ったら測定してみてください。そして、血糖値の数字と自分の感じていることとを、つなげて考えることができるようになると、血糖管理が、より良くできるようになると思います。インスリン感受性に関しても、これは人によってどのように感じるかは異なりますので、経験を通じてどう管理していくのか、自分で見極めていくことが重要です。
杉山さん:
引退して6年ですが、注射を打つ場所を、太ももだったりお腹だったり、いろんなところを試しながら、今も探しています。6年前は、太ももで効果はあったけれど、今は太ももだと下がりづらくなりました。
マンディ選手:
ジャスティンさんのお答えは、本当にそうだと思います。何かを変えたら、観察をしていくこと、血糖値を継続的にモニタリングしていくことが重要となります。レースの時にはそういったことに気を付けています。自分の身体が何に対してどう反応するのか知ることです。
ジャスティンさん:
血糖値をコントロールしていく上でも、経験がとても重要だということですね。
次の質問は、杉山さんへの質問です。
<質問8>
「杉山さん、マドリードに行かれた時の話を聞かせてください」
杉山さん:
レアルマドリードのナチョ
フェルナンデスーサッカーの最高峰のチームでプレイしているこの人に合わせたら、1型糖尿病のある子どもたちはどう思うだろう、というのが最初のきっかけでした。同じ1型糖尿病で、あれだけすごいプレイをしている彼に、僕もあこがれましたよね。そして、子供たちのあの笑顔!やってよかったなと思います。これまで、皆さんのご支援で10人の子供たちをスペインに連れて行かせてもらいました。世界最高峰の選手を見て、一人でも多くの子が笑顔になって、そして、僕の夢ですけど、いつか、ああいうところでプレイしてほしいと思ってます。
ジャスティン:
すごい!本当に素晴らしい取り組みだと思います。
これで我々のセッションは終わりになります。ご参加いただいた皆さんに感謝申し上げます。健康にお過ごしいただきたいと思います。そして、東京オリンピックをとても楽しみにしています。
マンディ選手:
皆さん、ありがとうございました。これからもトレーニングを続けていきます。来年東京でお会いしたいと思います。
杉山さん:
今回こういう機会をいただいてありがとうございます。世界には、1型糖尿病と向き合っているアスリートがいます。皆さんも、少しでも勇気をもって、一歩踏み出してください。
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